ワールズエンド・サテライト

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『ドキドキプリキュア』総話レビュー

 「ドキドキプリキュア」最終話視了、なんていうか……マナちゃん超人すぎませんか。ここ1ヶ月くらいであぐりちゃんとレジーナさんをめぐって出されていた、「世界に対する愛」、それと対立する(或いは両立しえない)ものとしての「親の愛」、これらの相剋は見ていて心に訴えるものが強くて、これについては作中でありすちゃんも「容易に答えが出せませんわ」みたいなこと言ってた気がするけど、最終的にそれを調停するのは「友達(として)の愛」ってことなの? 

 

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  まぁけどそれは措いておくにしても、この作品の主題としてあったのは「人との繫がり」みたいな気がする。エースさんも「愛とは人との繫がり」みたいなこと確か言ってたし、最後にはマナちゃんもラスボスに「他の人がいなかったらジコチューにさえなれない」みたいなこと言っていた。思えばドキプリのメンバー自体、マナちゃんにばかり固執してたのが他の人とも仲良くなってったり、家族(とセバスチャン)ばかりの世界にいたのがマナちゃんや立花ちゃんと仲良くなって世界が拓けてったり、王女様しか目に見えてなかったのけど他の繫がりも認め始めたり、使命にばかり意識が行ってたのが他にも目を開き始めたり、或いは、父親にしか向けていなかった筈の愛を他の人にも向けれるようになったり……なんか全部マナちゃんを中心としての世界って感じだな、ジャネジー自力で吹っ飛ばして世界まで救っちゃうし。こうしてみると、作中ではみんなマナちゃんを基点として、或いは結節点として繫がっていたわけで、マナちゃんの超人っぷりがホントに半端ないんだけど、現実の世界にはマナちゃんみたいな人はいるわけないわけで……で、そこから翻って思ってしまうのは、マナちゃんのいない世界で我々はどうやって人と繫がればいいの、みたいな。……ま、がんばれということか。女の子は誰でもプリキュアになれるわけだしね(ミラクルライトさえ貰えない大人の男がどうすればいいのかは知らない)。
 けどそういうふうに考えてみると、これってマナちゃんハーレムみたいな世界だよな、って感じもする。誰かの固着を断ち切って新たな依存先として自分を呈示するってのは、考えてみれば、よくあるハーレムものの条件なんじゃない? 今期(あれ、前期か)で言えばストブラの古城くんがそんな感じ。まぁ、マナちゃんがそれとは違うとしたら、自分を超えて世界と繫がれ、みたいな感じでみんなと接していたっぽいところかな。まぁ何にせよその絶倫っぷりは半端なかった、という結論で。

 ところで「世界の愛」と「親の愛」の相剋……とまで言っていいのかは判らんけど、そういうものをえがいていたものとして私がまっさきに思い出すのは「劇場版ポケットモンスター ルギア爆誕」だったりする。世界を救ったサトシ君に対して、最後ママは「世界を救えてもあなたが死んでしまったらなんにもならないじゃない」みたいなことを言って頬を張る。当時9歳(?)だった私は「世界を救えなかったら、それこそなんにもならない、結局死ぬじゃないか」とか考えた記憶があって、どういう心情で言われた言葉なのか判らなかったし、まぁいまでも正直よく判ってない、というか、実感のあるものとして自分に引きつけられるようにはなってないんだけど、まぁそういうものがあったということで……オワリ。
 次作のプリキュアも楽しみです。