映画『colorful』感想
またしてもTwitterからの転載なのですが、映画『colorful』の感想です。森絵都原作。この人の作品は、中学時代あたりに『アーモンド入りチョコレートのワルツ』とかを読んだ思い出があります。
映画「colorful」を見た感想。主人公は或る罪を犯した魂。彼はその罪ゆえに消滅する運命にあったが、天使(?)プラプラにいざなわれて下界に降り、自殺を図った少年「真」の躯に這入り込み、その真として暮らすという「修行」をすることになる。それを達成すれば、彼は消滅せず、再び輪廻の→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
流れに戻ることができる……という話の筋。畢竟言えば、彼は自殺した真自身であり、自分で自分を殺してしまった、しかし、再び生きることを決意する、その機会を与える……というのが修行の真の目的、というオチ。こうした顛末が、「女関連で傷ついたこころが、男達との交流によって癒される」という→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
流れでえがかれているのが本作(非常に語弊のありそうな言い方)。すなわち、真少年には自殺に至る理由があった。中学校ではいじめられ、密かに思いを寄せていた後輩の少女がどっかのオッサンとラブホに入ってくのを目撃してしまい、衝撃を受けていたら、その、同じラブホからこんどは母親がどっかの→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
オッサンと一緒に出てくるのを見てしまう。彼は家に帰って、夜、その母親が密かに飲んでいた睡眠薬を見つけ出して大量に摂取し、自殺を試みたのであった……という背景が彼にはある。しかし物語が始まって、おそらく終盤も終わりになるまで、主人公は自分に起こったそうしたできごとをすべて忘れた→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
ままでいる。プラプラは要所々々に現れ、かつて真に起こったできごとを主人公に対して語るが、修行であるゆえそれが主人公自身に起こったことだとは語らない。しかしてそれが自分とは知らぬゆえ、「真」に対して最初距離をとるふうな態度でいた主人公であるが、自殺の原因のひとつとしての母親の不倫→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
を(わりにすぐだが)知らされて以降、彼は、どこか腫れ物を触るかのようにしかし母親らしくふるまおうとするその母に苛立を覚え始め、そしてさらには、彼女を見るにつけ、パンにバターをぬるその手に、林檎の皮をむくその手に、夕食のハンバーグをこねるその手に、おそらく情事のあいだに後ろ手で→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
ベッドのシーツを摑んだであろうその手を思い描いて、重ねるようになってしまう。他人である(と思っていた)真の感情に同調し、母親を過激なまでに嫌悪し疎む主人公のその態度、これを神経症的、などと言っていいのかはわからないけど、主人公の頭のなかで反芻されるその母親の手から連想されるのは→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
それがまさに主人公自身が直面した問題であるゆえに、ここまで彼は反復して脳裡にそれを思い浮かべるのだ、ということ。こうして彼は、悩み苦しむ自分を自殺というもっとも尖鋭なかたちで対象化し、すなわち切り離し、心の均衡を保とうとした、というところから、徐々にそれを再び自分のものとして→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
うけとめる、というその過程に入りはじめることになるのだけれど、それは、母親の作った料理、そして母親自体、これらを拒絶するというところから始まる……ということで、この母親関連が、真くんの女絡みの苦しみその1。次なるは援交後輩ヒロカの話。ヒロカはちょくちょく真の属している美術部に→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
遊びにくる後輩で、手酷いイジメをうけている真に対しても屈託なく笑いかけ、気前よく菓子をわけてくれたりする女の子。しかし彼女は援交で小遣いを稼いでおり、主人公はプラプラから聞いてそのことを知っていたが、母親へと向ける敵意のおかげで家でも心が休まらないなか、美術室で彼女と会えること→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
に悦びと楽しさを見出し始めていた……が、或る雨の日、主人公はヒロカがオッサンとラブホに入って行こうとするのを見てしまう。彼はとっさにヒロカの腕を摑んで駆け出すが、しかし、ヒロカがほしいものはお金がいるの、真くんだったら2万でいいよ、と言われ、彼女の手を離してしまう。シーツを摑む→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
母親の手、みたいなのは彼女に関して思い浮かべはしないものの、よく駄菓子をくれる親しみやすい彼女はここで、中学生らしからぬ(?)恰好をし、春を鬻いで金を手にする、おおよそ手の届かぬ少女となる。ここで彼の感じたのは無力感か、或いは、上記のような対比のその落差による絶望かもしれない。→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
ともかく、これが真くんの女絡みの苦しみその2。続く話は級友ショウコについて。彼女は真のクラスメイトで同じ美術部であるが、生前の真は彼女にかんしてなんら意に介したことがなく、プラプラもショウコにかんする情報はまったく持っていなかった。しかしショウコは、語尾などを数回繰り返すという→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
その独特なキョドった感じの(言ったことの確認を繰り返す、別言すれば自意識の強そうな感じの?)喋りかたで、前の小林(真)くんはこんなんじゃなかった、前のほうがいい、と、主人公に何度となく言うのだが、お世辞にも可愛くない彼女を主人公は疎む。そして果てには、学校を休んだ彼のお見舞いに→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
きたショウコ、彼女はここで、前の小林くんは深くまで見通すようで、色々考えてそうで……と、自前の小林くん論をぶつのだが、そんな彼女にたいして真は自分の持っているエロ本を見せつけ、なにが深くまで見通すだ、性欲だって普通にある、と言って、彼女をベッドに押し倒す。結局はただ押し倒した→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
だけで終わったものの、ショウコは泣いて逃げ帰り、その様子を見てなにか悟った母親も家で泣き崩れ、という、どこか自棄な感じのする真くんと、それによって苦しむ女、というそれぞれの姿がここではえがかれる。ショウコにかんする一連も、真が以前の自分に向き合うために直面せねばならないできごと→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 14
のひとつ、以前の自分の(似)姿を伝えるものとして解せる。以上、この女絡みの真の苦悩は、別言すれば、まさに自分を「捨てた」人間が、他者として以前の自分に対峙し、自分について再発見しつつ、追体験していく、というつくりになっており、それが進むにつれ、主人公は段々と感情的になっていく。→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 15
ここまで過程は、他者として対峙、というゆえに漂う離人感、また、雨や曇など、暗く陰鬱な画面が多かった(気がする)せいもあって、どこか不気味な足元のおぼつかないような感覚を惹起させていたが、しかしまさにそれゆえに、生きること、死ぬこと、そのつらさを自分のものとしてうけとめることに→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 15
まつわる苦悩の表現について、これは少し(不可避なのだろうが)ぼやけていたようにも思う。以前の自分の感情に同調しはじめると同時に、彼は、3人の女性と自分との関係を断ち切り、その姿を見ないようにしたから。つまりひきこもりのようなものだが、しかし、彼には理不尽な暴力もまた振るわれる。→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 15
主人公はプラプラの「楽しくやれよ」という助言に従い、髪を逆立てて学校に行ったり、高いスニーカーを買ったりと、やはり以前の自分らしくはない背伸びを様々に試みるが、しかしそこから結果したのは、神社でそこらのクソガキに絡まれ、殴られ蹴られ、靴を奪われるというものであった。これは女性達→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 15
との一連の交流をへてのち、追い打ちのごとく彼にふるわれた暴力だが、これは物語中盤における、理不尽さの、さしたる理由もなく齎されるつらさの、その象徴であり、この痛みのあったことによって、距離をとってばかりでいられない、現実としての現実のあることを主人公は思い知らされることになる。→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 15
そしてここが転回点となって、以降、主人公と男達、すなわち、父親、級友早乙女、そして兄との交流がえがかれ始める。最初に父について。父はあまりものを強くいえない、人のよいサラリーマンで、妻の不倫も知らないかのごとくえがかれている。そんな父が或るとき、主人公を釣りに連れて行く。母親が→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 15
ダウンジャケットを用意してくれていると言って、しかし主人公はそれを拒み、そのままふたりは釣りに行く。行った先は紅葉の美しい山間を流れる川で、父は釣りを、主人公はスケッチをする、そんなふたりのかけあい、「こんど俺もかいてくれ」「いやだ」「なんで」「人間は嫌いだ」「人間は父さんも→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 15
きらいだな」「えっ」。父は弁当を食べながらそれまでの家族の話をする。死んだ祖母との折り合いの悪かった妻(つまり母親)は、睡眠薬を飲みながら、自分を騙し騙しやってきた。しかし家庭をあまり顧みず、妻のつらさにも思い至らなかった父は、真の自殺をとおして初めて、その妻の苦悩を知ることに→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 15
なって、そのことを申し訳なく思った……と、主人公はこれを聞き、父は不倫に気付いているのでは、と感じる。妻の不貞を知り、おそらく息子への同調という以上に、間男か、祖母か、妻か、それとも自分についてなのか、人間をきらいだと言いながら、それを背負わんとしている男の姿に主人公は、ここで→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 15
接することになる。主人公は結局母親の作った弁当をやはりほとんど食べず、しかし帰りに父と一緒にラーメンを食べて帰った……というのが男との交流その1。続くは級友、早乙女との玉電(東急玉川線)跡めぐり。補欠ではあったものの、熱心な卓球少年だった早乙女は、部活も引退し、塾に通い始めたが→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 15
或るときそれをサボって玉電跡をめぐることにする。主人公は駅でそんな早乙女と出会う。最初は名前すら思い出せず、玉電跡めぐりも「はぁ?」と思いながら流れで付き合っていたが、しかし早乙女は主人公にも分け隔てなく接してくれ、ふたりは急速に仲がよくなり、受験勉強や、放課後の寄り道を一緒に→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 15
して、買い食いなどするようになる。玉電跡めぐりの場面では、ふたりの小旅行に重ねて、玉電のその過去をえがいた白黒の絵が、ついでそれに色がつき、そして、車輛が動き始める、という映像が、まさに真の心象風景として流れる。すなわち、真のかたくなにな(りつつあ)った心が、ここを最たる転機→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
として変化しはじめる、ということの表現がこれだといえるだろう。早乙女は真にとり初めての友達となり、受験勉強なり買い食いといった、ごくごく普通のとるにたらない交流を重ねる。ふたりには成績が悪いという共通点があったが、早乙女は或るとき再び卓球を頑張りたいからと言って、自分の成績では→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
ハードルの高い玉川東高の受験を考えている、と真にうちあける。早乙女が塾をサボったおかげで仲よくなるきっかけを得たふたりであったが、ここで早乙女は、それまでただふたりで揶揄して笑いあう感じに言及するだけだったその成績の悪さをうけとめ、みずからの目標のためにそれを乗り越えようとする→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
という姿を、真に見せることになる。主人公の修行は長くて半年、とプラプラに言われており、最初はそれこそどこか投げやりだった主人公だったが、このあたりから彼は、そのもうすぐきたる時間の制限を意にも介さず、ただ、初めての友達である早乙女と一緒の学校に行きたいと言って、そのために頑張り→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
始める。不倫やら援交やら、そういったほかの出来事に比べて、早乙女との交流自体はごくごくありふれたものかもしれないが、しかし、学校ではおおよそ休まるべくもなく、ただひとつ拠り所であった美術部も、ヒロカとのことがあってもはや頼るべくもなくなり、家に於いても不倫した母親がいるという、→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
かかる普通ではない(と私としては思いたい)できごとが重なった果てに(衝動的に)自殺した彼であるから、この、人によっては見てて面白味のなさげな日常の(真にとっての)重要性は、低く見積もるべきではない。決定的ではあるがしかし劇的ではないこの転機は、(個人的な趣味もあるけど)かすかな→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
希望を静かな感動と共に見せてくれるという意味で、この映画の白眉といってもいい。魂の修行という超日常的な設定が根柢にありはするものの、しかし、(自殺を試みるほどに)傷ついた少年がその傷を乗り越える、すなわち成長する、というこの筋書きは、やはり日常の範疇に属するそれだといえる。劇的→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
なできごとの発生にあらゆる成長の契機を還元してしまうような展開は、まぁそういう場合もきっと多々あるのだろうけれど、人間がなにか出来事をとおして成長するにさいして、それを成長の契機として経ることができるようその準備が徐々にその人の内で行なわれてきた(はず……)という事実を忘れて→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
たりするもの、と思う。早乙女との交流は、確かに出来事としてはちっぽけだけれど、女性達との交流で傷つき、以前の自分に起きたことと再び対峙し、心閉ざしてひきこもり、しかし、そういうものがあると想定すらできていなかった父親のつらい思い、また、おそらくしているだろう家族の再構築への覚悟→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
こういったものを見て経験してきたというその流れのあることを思えば、やはり劇的ではないにせよ、決定的な契機としてこれを見れる。ともあれ、しかしここでの真はまだ、友達ができ、楽しい新たな世界を見ることができたというその喜びにひたっているだけともいえる。すなわちその喜びを享受している→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
自分とはなんであるのか、ということまでは考えていない。そこでくるのが、第3の男との交流、すなわち兄……というより、兄貴含めた家族との会話。芸術に力をいれている学校があるからここはどうだ、金は大丈夫だから心配するな、お兄ちゃんは大学受験延ばすって、おまえが生き返ったってことに感動→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
したからもう1年勉強して医学部めざすって、母さんがこの学校見に行ってくれてよさそうだったって、実はこういう学校があるって探してくれたのお兄ちゃんなんだ、あの神社おまえが襲われたときも、心配しておまえをみつけてつれてきてくれたのお兄ちゃんだったんだ……みたいな会話が或る日の食卓で→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
なされる。ここで真は早乙女と一緒の高校に行きたいと言い、それに対して兄は、そんな理由でなにをいう、こいつは結局みんなを困らせたいだけだ、母さんが(それまで出来合いばかりだったのに)どんな思いでまたご飯を作り始めてくれたのか考えもしないで……と、激昂しつつこんなことをいう。真は→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
友達なんて初めてだったんだ……と、兄の言葉(と両親の思い)に対して、涙ながらに自分の思いをぶつける。ここは、家族4人が初めてきちんと(作中で)会話(?)したという意味でもむろん決定的だが、それまでひたすらぶっきらぼう、というより冷淡? 無関心? な感じでいた兄の思いが表出した→
— 110 (@it_takes_davi) October 16, 2014
初めての箇所、という意味でも重要な場面だと思う(実際には、神社から真を運んできたのが兄だというのはそのときの声から察せるので、兄が実はいい奴、という布石は打たれてある)。主人公にとり、それまで冷たい感じしかしていなかった兄に、自分なんかも思いやって(しかも怒って)くれるやさしさ→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
があったと知れたのは、大きいことだったのではないか。つまり、やさしい表面の下におどろおどろしい内奥を隠した女性というのに対して、冷たい表面、しかし実はやさしさがある、という兄の存在は、その対比として解することができる。すなわち、これをとおして真は(決して悪い意味ではなく)人間の→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
二面性、乃至多面性、そんなものを知ることができたのではないだろうか。むろん兄とて、その怒りの表出のとおり、真に怒っている面もあっただろうが、それでもかけてくれたやさしさが消え去るわけではない。その人間の見えない内面にも、兄のようなそうしたやさしさ、或いは父のような苦しみ、かかる→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 16
ものがあることを知って真は、成長(修行)の最終段階にくることができた、すなわち、苦しみと、その苦しみに対峙する自分とを、受け容れる準備が整った、というのが、以上6人との交流をえがいてきた最後、この場面だったのだろう。しかして次に学校での場面。真は美術室で、ヒロカが絵の具のついた→
— 110 (@it_takes_davi) October 16, 2014
筆だかペインティングナイフだかを持って、自分の絵の前に立っているのを見、いいよ、という。そしてここからヒロカの思いの吐露が続く。3日に一回はヤリたくなるけど、1週間に一回は尼寺に入りたくなる、キレイなものが好きだけど、それを壊したくもなる……そんなヒロカに対する真の言葉、人は→
— 110 (@it_takes_davi) October 16, 2014
いろんな色を持っている、綺麗な色も汚い色も、けど、それでいい……これを単純に援交やひいては不倫の肯定などと解するのは、真の経たであろうその成長を思えば、あまりに単純にすぎるだろう。ここでのヒロカは、屈託ない笑顔を浮かべるだけの少女でも、あっけらかんと春を売って小遣いを稼ぐだけの→
— 110 (@it_takes_davi) October 16, 2014
少女でもなく、そういった面とはまた違う、自分のその淫乱に苦しみ、また、好きなものなのにそれを壊したいという理不尽な衝動を持った、すなわち彼女なりの苦しさを抱えたひとりの少女として、換言すれば、或るなにか苦しさという共通項を持つという意味では真にとっても理解のできようひとりの人間→
— 110 (@it_takes_davi) October 16, 2014
として、えがかれている。つまり真の台詞は、様々な葛藤をどうしても抱いてしまう人間の(不可避な?)性行をさして言ったものだと思しく、かかる人間の在り方に耐えねばならない、という、単純な肯定ではない、やはりそこに伴う苦しさ、つらさを抱えて生きるという、自分に対する覚悟とも解し得よう→
— 110 (@it_takes_davi) October 16, 2014
ものになっている(「自殺はだめだよ」みたいな台詞がここであったような……)。だからこれは、さまざまな面を抱えてそれらのおこす葛藤を抱えながらも生きる人間のその在り方を認めんとしての台詞なのであって、たんに援交を称揚するようなものではなく、そもそもこういった会話をヒロカと交わせた→
— 110 (@it_takes_davi) October 16, 2014
ということ、すなわち彼女の苦しみをきちんと聞き、それに彼なりの答えを返したということ自体、主人公の成長の証となっている。これより以前の彼ならば、援交女の言ってることなんて知るか! ぐらい言っても(思っても)よさそうだし……と、まぁなんにせよ、真くんの成長の或る結実が垣間見れた→
— 110 (@it_takes_davi) October 16, 2014
場面がこれだった、という感じ。人がそれぞれ自分の苦しみを生きている、ということを知る、みたいな。しかして彼は、もはや修行の期間も終わらんとし、プラプラに学校の屋上へと呼び出される。教室で早乙女に今生の別を告げ(?)、プラプラと会う前に美術室によると、そこにはショウコがいた。真は→
— 110 (@it_takes_davi) October 16, 2014
かつての行ないをショウコに詫び、ショウコは、いいよもう、と、そして次いで、私も前いじめられてて、同じようにいじめられてる小林くんを見ていた、けど、小林くんは私と同じでひとりなのに、強くて、なんでだろうと思ってた、美術部のおかげでそうだったんだってわかると、私も美術部に入ろうと→
— 110 (@it_takes_davi) October 16, 2014
思った……と、そんなことを言い、対する真は、君は鋭いことをいうから避けていた、だか、そんなことを言う。かつての自分について教えてくれていたショウコとの和解がこの場面であり、すなわちそれは、かつての自分と対峙した結果であり、それを受け容れられたことの象徴と解せる。ゆえにショウコも→
— 110 (@it_takes_davi) October 17, 2014
「もとの小林くんだ」と主人公真に言う。ここでひとつおもしろかったのは、「早乙女くんは誰にでも平等だから」というショウコの台詞を聞き、どこか残念そうな? 顔をした真に対して、「わたし、君を好きだったわけじゃない」とショウコがまた返した、というやりとり。ここでの真の残念そうな表情は→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 17
おそらく、早乙女のあのやさしさが誰にでも向けられうることに対しての、独占欲……とは違うけど、一抹の淋しさのような、そんなもののゆえだろうと(私としては)思われるけれど、それに対してショウコがやはり、どこか自意識過剰ぎみな返答を返してしまう、というのが、このふたりの噛み合わなさを→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 17
表現していて、(安易に)相互理解がなされるばかりでない、人間にきっと不可避なすれちがいというもののあることを、最後に、こうした軽妙なやりとりで表していたのがこれだろうと思われる。まぁ、押し倒された、なんて出来事があったら、こう考えても変ではないけれど。けどショウコの台詞に対して→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 17
「やっぱりおまえ……ブスだな」などという言葉を吐く真は、それはそれでひとつの成長、といえるように思う。しかして屋上の場面。修行に関するネタバレ。これからも頑張って生きてくれ、うまいことボスに拾ってもらったけど、俺は修行に失敗した魂だったんだ、記憶は消させてもらうけど、これからも→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 17
見守っててやるから……とプラプラが言い、ふたりの別れ。より以前には「いるのかいないのかわからないくせに」とかそんな台詞を言っていた真が、プラプラとの別れを惜しむ場面がこれ。そして最後、真が早乙女と自転車でどこかにでかける場面がえがかれる。真のケータイにfrom P、ということで→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 17
メッセージが届き、真は忘れているからそれがなにかはわかってないが、プラプラが本当に見守っていてくれていることがわかる。なおこのときの真の服装は、以前父と釣りに出掛けたとき、母が買ってくれていたダウンである。母は食卓の場面以降出てきていないが、ここから、きっと、ふたりが和解……と→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 17
いうのか、仲直りというのか、ともかくその親子関係が進展したのだ、ということがうかがえる。大団円。人間いろんな色を持っていていい、という主題を中心に、人との交流をとおして主人公がその見解を持つに至り、自分や他者の存在を受け容れていく、という過程が、とてもなめらかに配置されている→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 17
見ていて飽きない映画だったと思う、ということで感想終了。かなり長くなった。→
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 17
しかしプラプラか……なんというか、こいつの前で、パンを尻にはさみ 右手の指を鼻の穴に入れ 左手でボクシングをしながら 「いのちをだいじに」と叫 びたくなるような名前してるな……。
— 110 (@it_takes_davi) 2014, 10月 17