『ご注文はうさぎですか?』第1話レビュー
2014年冬アニメで自分が観切った作品の総話レビューもままならないうち(公開してる作品以外では『凪のあすから』『ゴールデンタイム』、できれば『みでし』などを予定中)に、普段はダビさんに任せているアニメ作品各話レビューを自分もやってみようと試みてみます。
基本、自分は総話レビューしか書かないと思うけれど、『ごちうさ』がほんわかしていて少し安らげたので。カフェと言う名の日常の中にある小さな非日常というテーマをもとに書いてみます。
ご注文はうさぎですか? (1) (まんがタイムKRコミックス)
- 作者: Koi
- 出版社/メーカー: 芳文社
- 発売日: 2012/02/27
- メディア: コミック
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まず、ニコニコ動画で観ていると、この作品はいわゆる"日常系"アニメの"難民"(この言葉の善し悪しは一旦おいておいて)の避難地(??)としても扱われているようです。
具体的には、『ゆゆ式』→『きんいろモザイク』→『のんのんびより』→『桜Trick』or『未確認で進行形』→『ご注文はうさぎですか?』
という系譜のようです。
僕は『ゆゆ式』は観ていなかったので、それを除外して、になりますが、この作品、1話時点では、挙げられた作品の中では『きんモザ』に近い世界観のように思います。
異国情緒のある感じ、ゆるい(このゆるさが『きんモザ』のゆるさにかなり近いけれど、具体的な言葉にはまだできない…)女子たちの狭いコミュニティ、リゼの小路綾を思わせるルックス&1人ツッコミポジションなど…幾つか類似性があるようなないような。
印象的であるのは木っぽい家屋が立ち並ぶ石畳の街の描写。これが入念に描かれていてヨーロピアンな雰囲気を醸し出すことに成功しています。この石畳の街並は何とも言えない、ほんわかさと清閑さがありますね。個人的には、昔1人旅で北欧を巡った時に行ったスウェーデンのマルメなんかを思い出しました。
さて、物語のメインの舞台となるっぽいのが、その石畳の街にあるカフェ「ラビットハウス」。
慣れているのか緊張しているのか元々クールなのか判断し辛く、淡々と口数少なく接客するチノ。
彼女の姿に『Summer Days』(あるいはそのリメイク版『Shiny Days』)における、刹那を思い出さずにはいられない。水瀬いのりさんの名演が光っているように思います(個人的に水瀬さん=『恋愛ラボ』のスズなのでその演技の違いにビックリ)。
このカフェ「ラビットハウス」が物語にどのように介入し、予告で告げられた"学校"の存在とどう併存するのか、が何となく見所になるのではないかと思っているんですけれども、ここで個人的に思ったのがカフェの描写が現実世界のそれの特徴をうまく作品内世界に落とし込むことで、日常の中にある小さな非日常を描いている(描いていく)のではないか、ということです。
ここ京都にもカフェは非常に多いです。その多くがニッチなところだったり趣味人の心を揺さぶるところで、京都街カフェと言えば、ある種の人々(有り体にいってしまえば、クラスタ)にとっては有名なものです。
個人経営の素敵なカフェってアルコールを出さない晴れて小洒落たバーみたいな感じですよね。日常の疲れを取り日々や街の喧噪から離れてカプチーノを頼んで、これまた個人経営の気の利いたセレクトショップで買った本のページをゆっくりとめくる…あるいはフラペチーノを頼んで、何の気なしに店内のテレビで流れているフランス映画に目をやる…素敵な光景です。
が。
…
すいません、これらは憶測です。
なぜなら、僕はオーソドックスなカフェや喫茶店、現時点で苦手だからです。苦笑
舌がおこちゃまなので僕、コーヒーが飲めないんです。ついでに言うとミルクも苦手です。
なので、さっき書いたカプチーノもフラペチーノも何を意味しているのかさっぱり分かりません。
スタバやドトール、タリーズといった店でさえ僕にとっては最早、日本語が半分通じない異世界と言っても過言ではありません。ギリギリ、タンブラーは何を意味してるかは分かります。
(余談ですが、自分はスタバ発祥の地、シアトルで20歳になる年の半分を過ごしたのに街の至る所にある現地のスタバに一切行かなくて、めちゃくちゃもったいなさすぎると皆に言われました…もちろん、国内の友人たちのためにお土産にスタバグッズはいっぱい買って帰りましたが…)
バーは大好きなんですけどね…。。これまた居酒屋は苦手なので、友達と飲むと言ったら基本的に僕はバーです。あと初めていく街で夜に飲むとなってもバーを探します。
あとカフェと行っても、例えばロシアンカフェとかは逆にすごく好きです。京都は北山のロシアンカフェはその昔、毎年お世話になってました。でもオーソドックスなカフェは苦手なんです。
話が脱線しすぎました。
要するに、カフェは、ある種の人たちの憩いの場であると同時に、日々の喧噪を逃れ、日常から隔離された場所として機能しているとカフェコンプレックスの僕には思えるんですよね。
で、この日常から隔離された場所としてのカフェを"日常系"として描くのは、本来の"日常系"の持つ強みをまさに活かしていくんだろうなぁと推測します。
ここで"日常系"とは?みたいな根本議論をすることはないですが、そもそも"日常系"の特質の一つとして、ある限定された小さなコミュニティ内での物語ということは挙げられるでしょう。
それを拡大していったら『たまこまーけっと』のような商店街レベルになってしまうのですが、あれは"日常系"作品かどうかという議論もあるとは思いますが、どうにも今一歩惜しかった。それは商店街の群像劇の日常を描くのかメインキャラの日常を描くのかどっちつかずだったというのが個人的に今ひとつ感があった作品と思える所以です。
逆に言えば、『ごちうさ』の場合、現実的に隔離された乖離した「場」を主軸にする(かどうかは1話だけでは分からんですが)ということで、そこを上手く結びつけることができるのではないかなぁと思うのです。
と言う訳で、この作品を観ることによって、自分もカフェコンプレックスから少しでも脱して、どっかぶらりとカフェでお茶(決してコーヒーではない)の一時を…なんて楽しめる人間になってみたいものです、という意味不明の締めをして一旦終わります。