ワールズエンド・サテライト

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『アニメミライ2014』レビュー ①

 2014『アニメミライ』、『アルモニ』と『黒の栖』、『パロルのみらい島』と『大きい1年生と小さな2年生』について、簡単にですが、少しく感想を書いてみます。まぁどれもふんわりとした曖昧な感想にしかなってないんですが。まずは『アルモニ』と『黒の栖』について。

 


アニメミライ2014 劇場予告(第1弾) - YouTube


『アルモニ』
 物語概略。主人公の本城彰男はオタク趣味の高校生、しかし彼には絶対音感が備わっており、一度聞いた音楽なら(スマホアプリの)鍵盤でさっと弾くことができる。彼は或るとき偶然教室で、密かに心を寄せているクラスメイト・真境名樹里が幼少期に録ったという歌を聴くことになるのだが、放課後それを鍵盤で再現していると、真境名に見付かってしまい、「聞きたくないからやめてくれ」と言われる。しかし本城は「いい曲だからなんの歌か知りたい」と言い、すると真境名は、その歌が全編録音されている音楽プレーヤーを彼に渡す。それは、真境名が幼時より見ている夢に於いて流れている曲であった。帰宅した本城はそれを聞きながら寝、或る奇妙な夢を見るのだが(――って、本当は見てないらしいともとれる描写がのちにある)、それは真境名が見てきたその夢と同じものであった。翌日、本城が自分と同じ夢を見れたらしいことを知った真境名は嬉々とした様子になり、彼女はこれまた幼時に書いたというその夢の絵を本城に見せようとするのだが、それを真境名の彼氏であるらしい後藤に目撃され一悶着起こる。その後、帰宅した本城は、夢の内容が2トラック目ですべて説明されていること、それを真境名が忘れているらしいことに思い当たり、また、彼女の描いたその絵を見ようと手にとったとき、彼は誤って紙を破いてしまい、償いの気持ちで似たような絵を書き上げる。次の日、本城がおずおずと手渡そうとするその絵を見、真境名は世界を共有できたのだと感じて笑みを浮かべるが、しかし本城は「そんなカッコいいことしたいんじゃない」と思い、だがその一方で、「真境名樹里の世界にもっと触れたい」とも思う――というところで話は終ります。

 物語の焦点となるのは言うまでもなく、真境名がその幼少期から見ているという夢、そして、そこで聞かれるという音楽です。その夢自体は数回えがかれているものの、具体的にどういう話なのかはよくわからない。少しく述べるなら、貴族らしき人形につれられた少女人形がいる。彼女は貴族人形の一団と共にどこかの塔の横を通ろうとした際、古びた塔の上に光が輝くのを見、そこへと駆け上り、或る少年と邂逅する。その少年は、壜に入った赤、緑、紫の色をした液体を操り、それによってなにかをしている集団の一員であるのだが、その少女と出会ったときは、偶然それの当番であった。……しかして彼等は一緒になろうとする(?)のだが、阻まれ、しかしその妨害は乗り越えることができたのか、最後、星空に照らされる古びた塔の上、服をたくし上げる少女人形の腹部に、少年は輝くなにか導線(?)を見る……という筋書き。この、人形と人間という異なる種族の出会いには、本城と真境名の邂逅のしかたと重なるものがあります。人形と人間の世界はおそらく異なっていて、それゆえにか彼等は引き離されようとするのだが、、人間と人間同士の世界だって異なっている。そこには大なり小なり「すれちがい」が生じている。
 そしてこの「すれちがい」、これが、今作品に於ける最大のテーマであったろうと思います。それは、作中、「人にはそれぞれの世界がある」といったことが頻々口に出されてもいることからも窺えるのですが。オタク仲間であり、同じアニメ作品を見ている吉田や渡辺とであっても、アニメだけを見ている本城と、原作のラノベを読んだうえでアニメについても語っている吉田とは、その感じ方とか評価には微妙に差がある(、というか、そもそも冒頭の独白でふたりについて言及したときも、「世界が近い」と言うに留まってあります)。ましてやオタクではない、おそらくスクールカーストなるものでもその上位に位置する後藤とは、そもそもきっとわかりあえない。本城(達)は、リア充達に席をとられてしかしなにも言えなかったり、後藤から暗にうるさいと言われ(「音でけーよ」)、それで黙りこくってしまったりしていて、同じ教室内ではあっても、そこにはおよそ対等ではない、そしてまた緊張に満ちてもいる、交わりようのない世界がそれぞれある。しかし他方、リア充グループ内でも、後藤と真境名が自分達の交際について、その認識に齟齬を生じさせていたりとかしているし(――って、まわりも誤解していたようですが)、或いは、真境名とマユミとリョーコという友達3人組、彼女等にもどこか互いに調子を合わせようとし、無理をしている感じがあったりとか、やはりそこには微妙なすれちがいが生じています。吉田がラノベを読んでいるときに、「共通の世界がないと仲良くなんてなれない」「逆にふたりだけの世界があったら強くね」といった言葉を口にしていましたが、しかし結局、この教室に於いては誰ひとりとして世界を共通させられてはいない、と、そのようにも見えてくる。そうしたなかで、本城と真境名には、共通したものなどなにもない。
 しかしそんな中、真境名の音楽を媒介にして、本城と彼女の世界が交わるかに思われます。家族にも妄想と断じられ、医者まで呼ばれたという過去のある真境名、そんな彼女が、ようやく自分の世界を理解してくれる人を見付けることができた――かに思われたものの、しかしおそらくそうではない。本城は、単に、一度聞いた音楽なら再現できるという特技を持っているだけ。彼は渡されたプレーヤーを聴き、そしてそれによって、なにか不思議な夢を見た――のかどうか、それは実際には定かではありません。いや、おそらく、見ていないのでしょう。彼は2トラック目で聞いた夢の情報を懸命に紡いでいっただけであり、また真境名のほうも、彼の口から出た夢の情報を聞き、彼も同じ夢を見たのだと、かってに早合点してしまっただけ。密かに恋い焦がれていた相手とのそれであるがゆえ、本城は真境名との会話をなんとか続けようと躍起になっていますが、しかしその必死さも、真境名にとっては、同じ世界を共有する者同士の懸命さ、と、映ってしまう。少女人形の絵だって、申し訳なさから書いただけ。彼等はやはりどこまでも「すれちがっている」。
 しかしそこには、「すれちがっている」がゆえの「わかりあう」、という契機が残されているようにも感じられます。後藤は、真境名の書いた夢の絵を、おそらく……というか、真境名がごまかしたせいだけど、本城が描いたものだと勘違いし、「キモい絵でイキガッてんじゃねーよ」とぞんざいに扱ってしまいます。その態度は、真境名に対して「病気」というレッテルを貼ってきたのであろう彼女の家族と、結果的には変わりない。しかしそんな後藤(や他の人達)とは対照的に、本城だけは唯一、すれちがってはいるにせよ彼女の大切にしている世界を蔑まず、いい音楽だと評し、「真境名樹里の世界にもっと触れたい」、と、ひとり踏み込むことを決意します。とはいえ、その結果がどうなるかはわかりません。もしかしたら本城は彼女の世界に入り込めるかもしれない。或いは入り込めずとも、うまいことごまかしつづけ、真境名は自分の早合点に気付かずにすむかもしれない。或いは途中で自分の早合点に気が付き、彼女はみずからの夢を語ることについてよりかたくなになって、本城に対しても心閉ざすかもしれない。或いはそれでも本城の赤心(?)を信じるかもしれない。或いは自身、徐々に忘れていってしまうかもしれない。或いは……。――しかしなんにせよそこには、「すれちがい」、しかしそれでも「触れようとした」からこそ生まれる「ハーモニー harmonie」、これが出現しはしないでしょうか。最初から同じであるのなら、わざわざ「調和」などする必要はなく、しかし少しく(或いは大きく)違っているからこそ、そこには「調和」するという余地も生まれる。わかろうとすることができる。この作品は「すれちがい」を主軸としていますが、そこからそのまま交わらずに離れていく関係や、或いはそれゆえにこそ近付くことができるという関係性、こうしたものを、或る教室を舞台にして、重層的にえがこうとしている作品がこれである、と、そのように捉えられると思います。ただ、そのなかで、本城と真境名の関係は、夢と音楽とを媒介にした特別なもの……になりうるものとして、すれちがっているがゆえの不安定さを孕ませつつも、ふれあい始めたその淡い幕開けがえがかれている。果たしてそののち彼等の関係がどうなるのか、それは短篇作品である本作ではえがかれないままとなり、いや、むしろ、えがかないほうがいいのだろうとも正直思うのですが、それがどんな顛末を経るのであれ、「すれちがい」のうえに成り立つこの関係性が予感させるせつなさは、静かに心うつものだと思いました。
 ところで、真境名は本城に詰め寄りつつその夢について、「アルモニの最後に塔の上で……」と言います。夢に於けるその「アルモニ」とはなんでしょうか。夢自体がアルモニという名称なのか、それとも、少女人形と少年との邂逅の顛末がアルモニなのか、それともまた別のなにかを指しているのか。しかしなんにせよ、アルモニのその最後に於いて、少女人形は少年に、みずからの腹にある開口部を見せている。これはなにを意味するのでしょうか。言葉遊びのようですが、まさに「腹を割って話す」ということなのか、それとも、みずからの内部を晒すことが、なにか恋心の吐露だったりするようなそうした含意があるのか……なんなのでしょう。それを見た少年の言葉を類推できればそれを知る鍵にもなったでしょうが、残念ながら読唇術が使えないので、結局はやはりわからないままです。……



『黒の栖』
 物語概略。主人公・中園真は、死んでしまう人の背後に謎の人物……死神の姿を見ることができ、それゆえにまわりとうまく付き合うことのできなかった高校生の少年。現在そのことはまわりに伏せて生活しているが、彼は或るときその謎の人物のひとり、瀬野から、「邪魔をする気か」と話しかけられ、しかしそれには「僕にはなにもできないから邪魔はしない」と答える。ところで彼には堀内葉月という幼なじみの少女が居るのだが、彼女はいま大学生の男と仲良くするなどして中園とはすれちがいぎみ、しかし非常に優秀なこの少女は、宇宙飛行士かなにかの選抜を勝ち抜き、日本代表としてNASAに行くことが決定している。しかし彼女は目を患っていて徐々に視力を失いつつあり、それゆえにNASA行きがなくなること、それによってまわりの期待を裏切ることになるのを怖れていた。彼女はその思いを主人公に電話で吐露しようとするも、しかし中園はその電話に出られず、そしてコールしている最中、堀内は車に撥ねられてしまう。学校で朝そのことを知り、病院に駆けつけた中園は瀬野と再会し、堀内の魂がすでに体から抜け出ていること、長く抜け出ている魂が化物となること、そして、瀬野達がそうした魂をあの世(?)に送るのを使命としていること――こうしたことを告げられる。瀬野にもそうして女を亡くした過去があったのである。そしてその日の夜、堀内から着信のあったことに気付いた中園は、母親の死んだときに支えてくれたのが彼女であったことに思い至り、彼女のいるという場所に赴き、瀬野とは別の死神(オッサン)によってあの世(?)へと送られようとしている彼女をなんとか救い出す――という筋書き。最後は、体に戻れたらしい堀内と中園が桜並木でデートをするが、それを瀬野と志村(また別の死神)が見下ろし、「真にしか救えない命があると知ったら驚くかな」と言って終了。

 話としては、運命に逆らい大切な人を守れた、という、至極単純な筋書きであったと思います。中園君はスマホを丸1日ほっときっぱなしなのか、といった疑問なども、いくつかありはするのですが。ひとつ言えるとすれば、スーツを着ている謎の人物は死神ではなく「クロノス Κρόνος」で、これは農耕を司る神なのですが、音が似ているゆえか「時の神 Χρόνος」と混同されています。その場合、このクロノスは、無慈悲な時間という運命を人に叩き付ける、そして、農耕神であるがゆえに持っているその鎌によって、人の魂を刈り取り、死へと導く存在だとされているようです(作中でも、堀内をあの世に送ろうとするオッサンと、それを阻もうとする瀬野が、それぞれ鎌もて戦っていました)。欧米では、その彫像が墓地に置かれることも多いらしく、きっとそこには、時間という運命への畏敬や、かの者によって連れ去られる死者への思慕の念、無念の気持ち、或いは、自分もそののち向かうことになる彼岸への郷愁にも似た思い――そういったものが込められているのかもしれませんが、そんなことはともかく、この作品におけるクロノス(達)は、おそらく自身人間である、或いは人間であった者が、仕事として遂行する役職のごとくなっています。そこには、常人を超えた力を授かりつつも、しかし化物になるよりさきに、ただただ魂をあの世へと送るより他ない、そしてまた、いつかは自分達もそうやって送られていく――といった感じの悲壮さがあったように思います。たぶん。最後なんか思わせぶりなことを言ってたし。
 しかし、なぜわざわざ題を「黒の栖」とし、単に「クロノス」、或いは「Kronos」(乃至「Khronos」)などとしなかったのか。「栖」は「棲」と同字とされ、そちらを漢字辞典で調べると、「鳥が巣にやどりすむ」、「その場所にとどまる」などといった意味が出てきます。「黒」がすなわち「クロノス」を表しているとすると、彼等がとどまり仕事を遂行しているこの世を指して「黒の栖」としているのかもしれません、が、であれば「黒」とは、堀内のそれのごとく、未練を持ってこの世にとどまっている「魂」でもいいような気がする。……いや、やっぱりなんだかはわかりません。

 

 長くなったので続きます。