ワールズエンド・サテライト

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『甘々と稲妻』1、2巻レビュー

 最近「鬼灯の冷徹」視てたらCMやってる「甘々と稲妻」、本屋で見かけたので買うてみたのだけれど……おもしろかったです。妻を亡くし、娘・つむぎちゃんの子育てに男手ひとつで励んでいる高校教師・犬塚先生が、ひょんなことから教え子の飯田小鳥ちゃんと一緒に食事をすることになり、ふと、日々のなかで、娘とゆっくりごはんをする、ということが減っていた自分に気付く。小鳥ちゃんも、小さい頃に父親とは(親の離婚で)離ればなれになっていて、いまは母親の経営する食事処でふたりで暮らしているけれど、料理研家としてTVの仕事が増えた母親とはちょっとすれちがい気味、少しさみしさを抱いてたところで先生父子と知り合い、これからもいっしょにごはんを作って食べないか、と、ふたりを誘う……って感じに話が始まります。

甘々と稲妻(2) (アフタヌーンKC)

甘々と稲妻(2) (アフタヌーンKC)

 

  天真爛漫、表情がころころ変わるつむぎちゃんの可愛らしさとか、けっこう大食いで、けど、すごいしあわせそうに食べ物にパクつく小鳥ちゃんの可愛らしさとか(あと、娘を大切にしているってのがすごい伝わってくる犬塚先生の優しさとか)、見所はいろいろあるけど、私がおもしろいなと思ったのは、まだ幼稚園児のつむぎちゃんはともかくとしても、先生と小鳥ちゃん、ふたりとも料理が苦手だというところ(こういう話って、小鳥ちゃんポジの子が料理得意で、じゃあ私が作ります! みたいにして話が始まるもんだと思っていたんですが。偏見か)。味付けが(特に)苦手な犬塚先生、指を切ったっていうトラウマがあって刃物を使えない小鳥ちゃん、っていうでこぼこコンビのふたりが、小鳥ちゃんママのレシピをもとに料理をしていくわけですが、それまでまともに料理を作れなかった彼等が、ふたり(とひとり)集まって、一緒にごはんを作って食べる、だんだん料理できるようになっていく、っていうその過程は、「だれか」に「いなくなっただれか」の「かわり」になって貰う、だれかの居ない穴をまたべつの誰かで埋めようとする……っていうんでは決してなくて、おなじ釜の飯を食べるというその関係を、「新たに」作り上げる、ふたり(とひとり)で積み上げていく、そしてそのなかで、「自分」も、自分にとってのその「だれか」も、その「立ち位置」を徐々に新たにしていく……っていうそういう過程だ、って感じにもとれます、たぶん(小鳥ちゃんは先生に対する自分の思いを捉えあぐねているようだし)。

 で、「食事」をめぐって繫がっている彼等の関係が、これからどう展開し、そして変化していくのか、ってのが、楽しみに感ぜられるお話だったなぁ……ていう感想。
 けど、いまだにわからないのが、題の「甘々と稲妻」がなにを指してるかなんですけど、ふわふわの綿菓子みたいな髪の毛しているつむぎちゃんと、切れ長な目をした、(一部除き)スラッとした感じのある小鳥ちゃんとで、それぞれ「甘々」と「稲妻」だったりするのかしら。わからん。