ワールズエンド・サテライト

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『パーフェクトブルー』レビュー

 

最近また諸々多忙になってきて、ならいっそう、忙しくしようと思い(意味不明)、『パーフェクトブルー』と『東京ゴッドファーザーズ』を一気観しました。私事で恐縮ながら、これで故・今敏さん監督映画は全て観たことになります。 

ただ元来、平沢進さんの影響から今作品に入った自分としては、『パプリカ』『妄想代理人』『千年女優』といった平沢さんが音楽を手掛けた作品や初期P-MODELの同名曲からタイトルを借用したであろう『オハヨウ』は観ていたものの、平沢さんが関わっていない作品は少し後回しにしてきた節があって…

もちろん、『パーフェクトブルー』にも所々で平沢さんorP-MODELネタが挟まれていることは知ってましたし、Base Ball Bearが感銘を受けて同名のシングルをリリースしていたり、意外なところではNEWSの加藤シゲアキさんが処女小説『ピンクとグレー』を執筆するにあたってリファレンスにしたことも知ってた上に、今監督ファンの間でも評価が高いこともわかってたのですが、今一歩のところで観られてなかった。

でも自分が個人的に最も好きな米映画の一つ、ダーレン・アロノフスキーレクイエム・フォー・ドリーム』もこの作品をオマージュしていると知ったら、一気に観たい欲が出てきました。いやはや、監督デビュー作で多少荒削りなところもあるものの、今さんの世界観や表現手法はこの時点ですでに萌芽していたのだなと。

 

ということで書いてみようと思います。

なお、同じ今監督の『妄想代理人』のレビューはこちら

 

 

 

まず観終わった際に思ったことは、長編としての遺作となった『パプリカ』までの今敏エッセンスは既にこの作品の時点で確立されているということです(先に恐縮ですが、これ相当長い記事なので、結論だけ知りたい方は、最後の部分だけ読んだらほぼ要約になっていますので時間のない方は下部へどうぞ…)。


例えば、次作となった『千年女優』に見られる、視点の意図的な混濁や話されている言葉(考えられているーーと視聴者に見えているーー思考)と劇中劇が交錯する映像感覚 

例えば、『妄想代理人』に見られる、「信頼できない語り手」の視点での妄執的な虚像や怪現象が立て続けに起こって現実統合能力が失調しそうになって"何か"にすがりたくなる脆弱性

例えば、『パプリカ』で顕著に現れる、現実世界と夢の世界の交錯、どちらが"本当"なのか視聴者にもわからなくなる感覚

そして何よりも現実の世界と妄想の世界との視点が行き来して、キャラクターもその間を縫うように移動することによる吐き気を催しそうなまでの素晴らしいパラノイックな描写。これが既にデビュー作の時点で既にある程度出来上がっている。

 

もちろん、以降の作品に比べれば荒削りな部分はあります。執拗なまでの性描写や露悪的なキャラクター描写、サスペンス…というかサイコホラー的な作風にしては割に犯人が検討ついてしまうところとか粗探しをすれば、目立つところはないではない。

しかし、よく「1stアルバムは、どれだけ荒削りでもそのバンドの全てを表す」(初期衝動や未熟ゆえのエネルギー、ダイナミズムは徐々に薄れていくが、根底のテーマはほとんどが解散まで同じ、と言ったような)とも言われるようなのをこの作品にも感じることができます。

 

その初期衝動的存在が主人公の未麻。彼女こそ、今監督作の中で最も強く、そして同時に最も狂っている女性と言えるでしょう。『千年女優』の千代子でも、『妄想代理人』の月子でも、『パプリカ』の敦子でもなく、未麻こそ強かに狂っている女性キャラと言える。ストーリーを追いつつ見ていきましょう。

 

 

冒頭から始まるのは、未麻所属のアイドルユニット・CHAMのライブ。そこは野音とも言えない鄙びた屋外のステージで、熱狂的な固定ファンらしき人たちはおれど、ライブ中にも小競り合いが始まり、警備員に止められる始末。

このライブで、未麻は脱退及び女優への転身を告白。未麻の表情から女優への船出と同時にファンを捨ててしまうのでは、という葛藤が見えます。出待ちファンから聞こえてきたのは「いつも未麻ちゃんの部屋覗いているよ!」という不気味な言葉。

 

気にしつつも、未麻は女優の世界へ。しかし、元々違う畑の彼女にとって、現場は厳しく、もらえたTVドラマの仕事も、「あなた、誰なの?」という一言のセリフだけ。

 

しかし、この「あなた、誰なの?」という言葉は作品世界を全編にわたって支配し続けます

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先の通り、未麻自身も事務所の意向に流されながらも、元々いたCHAMは売れそうで売れない半地下アイドル的な存在でしたから、たった3カットのドラマ仕事でも懸命に打ち込みます。そんな未麻を、幼馴染(?)でマネージャーのルミは事務所に懐疑心を抱きながらも見守る。「未麻も納得しているから、ね…」と自分に言い聞かせるように。

 

一方でいくら畑違いの出の未麻とは言え、これでは女優としてのビジョンは見えない。事務所社長はドラマ脚本家に、もっと出番を増やすよう願いを入れる。そんな時、未麻宛のファンレターが届き、開封した社長の手元で爆発。未麻は社長を庇いますが、彼は重症の怪我を負ってしまいます。

 

ところで、未麻とルミは旧知の仲。ルミはよく未麻の家に遊びに行ってます。当時(本作は98年公開)、一般人にやっと普及し出した頃のネットの接続方もルミは未麻に教えます。1人になった未麻は覚えのない「未麻の部屋」というサイトを発見。「あ、これが出待ちのファンが言ってた"部屋"か」と思いつつ、まるで自分の今の仕事やプライベートの一部始終を知っているかのような自分を称する人物の書き込み(掲示板ですが、現代のブログみたいなページ)を怪訝に感じながらも、面白い、程度に捉えて「そうそう!」と共感したりします。

 

さて、社長の願いも叶い、未麻はドラマに新たなシーンでの出番をもらいます。しかし、それはあろうことか自分がレイプされる場面。ルミはこれに激怒して、スタッフらに猛反発。そんなルミに未麻は「本当にヤる訳じゃないし! まぁ実家の家族には見せられないけどね」と。実際に撮影に入れば、割とガチなレイプ描写かつ俳優のミスで2度も演じさせられる始末。未麻は想像以上の壮絶な現場に死んだ魚のような目になって、帰路につきます(余談ですが、深夜帯でもこんなレイプシーンをドラマで表現したことって実際に、90年代後半以降あったのでしょうか? 今だったら絶対アウトよね…)。

 

満員電車から降りる時に足を出しますが、ここで未麻はハッと。例の「未麻の部屋」に外へ出る時の初めの一歩はいつも右足(左足かも。大した違いじゃない)と書かれていたのを思い出して。困惑しつつも、電車を降りる未麻。ここで、ホームの広告に「ワイ・ワット」とか「ホテル・ハルディン」とかの言葉が踊っています(もちろん、前者は平沢さんのタイ語での別名、後者はソロ黎明曲「ハルディンホテル」から)。

 

 時空の水

時空の水


 

疑心暗鬼に陥る未麻。泣きっ面に蜂と言わんかのように、自宅に戻ると心の癒しとしていた熱帯魚が皆死んでいます。これが引き金になって一気に爆発。部屋中のあらゆるものを投げ散らかし、「本当は(レイプシーンなんて)やりたくない! でも(スタッフにも)迷惑はかけられない!」と絶叫します。部屋にあったCHAM時代の自身のポスターも剥がす。もう後戻りはできない、と自分自身を追い詰めるかのように。

 

このあたりで未麻は、「女優に転向せずにアイドルのまま活動し、活躍している自分」の幻覚を見るようになります。その幻覚は、執拗に彼女を責めます。「お前は偽者だ」と。そんな折、仕事が舞い込んできます。ヌード写真集。完全にヨゴレ役女優となってしまった元アイドルですね。それでも未麻は、「これは自分が一人前の女優になるための試練なのだ」とでも言うように、懸命に取り組んでしまいます(ここら辺ですでに神経症的な段階に来ていると思います)。また家に帰って、浴槽で「バカヤロー!!」と絶叫する未麻。そこにまたもや幻覚が現れます。彼女はアイドルとしてライブでオーディエンスから歓声を浴びています。「いや、違う。私はアイドルを辞めたのだ。私は今、女優なのだ」と自分を保とうとすればするほど、幻影であるアイドルとしての自分は彼女自身を苛んでいきます

 

幻覚が暗示したかのように、未麻が抜けたアイドルユニット・CHAMは大躍進を果たします。一方、自分はヨゴレ役の女優。人気を得たCHAMのラジオに見学に行くと、またもや幻影が。彼女は残された2人のメンバーに混じって楽しそうにブースで談笑しています。あたかも「偽者のお前が辞めたから本物のアイドルとしての私は成功できた」とでも言うかのように

 

未麻のヌード写真集や週刊誌を見た元ファンらのシーンも映されます。「うわぁ…こんなのになっちゃったの」「アイドルのままで良かったのに」なんて思いつつスケベ心で覗こうとする男共。そんな中、1人のファンがそれらの本を何冊も買い込みます。独占するつもりではありません(いやその部分も多少はあったかもしれませんが苦笑)。未麻の痴態を衆目に晒すことに耐えられない熱狂的なファンだったのです。

これが実は冒頭のライブでの警備員。彼は狂信的ファンでありながら、未麻のストーカーでもあったのです。彼は毎晩、「未麻の部屋」(サイト)をチェックしています。自室は未麻のアイドル時代のポスターだらけ。典型的なオタク…と言うか90年代のオタク弾圧の大きなきっかけとなった宮崎勤のようです(まあ宮崎は実際はオタクとは程遠いと言えなくとも、"マニア"気質だっただけで、ペドフィリアのキモオタというのはメディアによって作られたイメージですが)。それはともかく、このストーカーもまた「女優の未麻は偽物、アイドルの未麻が本物」と盲信しています

 

そうこうしてる内に未麻の女優業のスタッフが次々に謎の死を遂げます。まずレイプシーンを作った脚本家が殺されます。次に写真集を撮った(彼はいちいち未麻に過剰に"エロ"を要求していた)カメラマンが(なお、このカメラマンはピザ配達屋に扮した"犯人"に惨殺されますが、このピザメーカー名が「big Body」笑)。

 BIG BODY

BIG BODY


未麻自身も相当追い詰められていきます。「未麻の部屋」には、「脚本家が悪いんだ」とか「助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。」といった言葉が書かれるようになり、未麻は必死に「違う! これは私じゃない!」とサイトの主をも怯えるようになります。

未麻は自身はもう女優であって、アイドルに引き返すことはできないと誰よりも自分自身が理解しているのだから。それでもそう思えば思うほど、アイドルとしての自分の幻覚は何度も何度も、女優としての未麻を偽者と糾弾します。すでに、幻覚だけでなく、幻聴さえも患っています。一刻も早く心療内科に飛び込んでもおかしくないどころか、トランキライザーを飲むべき、と言えるような状態。

 

立て続けに起こる怪死から、未麻は「死を呼ぶ女優」として、腫物のような扱いに。自分に何一つ落ち度はないにもかかわらず、「使いにくい女優」としてさらに悪名を上げてしまう。そんな時、未麻が「全て私がやりました。私はアイドルです。大成功しているアイドルなんです」と口にする場面が。「彼女はやはり二重人格か」という青年もいて。ここで視聴者は、「えっ!?やっぱり未麻は病んだ末に解離性人格障害になって人を殺したり、アイドルとしての自分を見てたの?」と思わされるわけですが、それも束の間、次の瞬間には、それはドラマ収録のワンシーンだと明かされます。

 

しかしこの時点で、視聴者としてみれば、「ドラマと現実」「幻覚の未麻と現実の未麻」「他者の未麻のイメージと未麻自身の自己イメージ」の描写がシームレスに続くあまり、どれが"本当の未麻"なのか、もはや判断がつかなくなってきてます。未麻が初めて女優として、発した言葉が思い返されます。「あなた、誰なの?」

それは作中の未麻も同じ。交錯する自分と支配していく妄想によって意識は混濁します。どれだけ幻覚の自分を追っても届かない。幻覚は相変わらず女優としての自分を嘲笑するばかり。もう他者からのイメージも自分自身の精神もボロボロです。自分は懸命に、目の前の仕事を誰の迷惑にもならぬよう、そして女優として生きられるよう自律・自立しようと努力しているのに。彼女が耐えて努力を重ねれば重ねるほど、むしろ状況は悪化していってます

不条理極まりない。この作品には『妄想代理人』とはまた別のタイプの圧倒的な不条理が横たわっています。

 

ようやく、ドラマ自体はクランクアップを迎えました。マネージャーのルミも「やっと(未麻を汚す)クソみたいな仕事が終わった」といわんばかりの表情。帰りの準備のため1人になった途端、未麻はなんと例のストーカーに襲われます。

誰もいない舞台に戻され、レイプシーンに使われたセットの上で強引に迫られそうになる未麻。ストーカーはあたかも、「女優である偽者のお前は俺に汚されればいいのだ、成敗してやる」と言った感じです。ストーカーをぶん殴って逃走に成功した未麻。

 

ルミと共に帰宅し、安堵。ただおかしなことに気づきます。全滅した魚が生きている。剥がしたCHAM時代のポスターが貼られたまま。不審に思った未麻はカーテンを開け、外を見ます。そこには、自分の部屋からの景色とは全く異なる光景が。ここはルミの部屋。つまり、ルミは自身の部屋を未麻の物と全く一緒にしていたのです。

 

振り向くと鏡には幻影の未麻の姿。しかし、実際にはルミが未麻のアイドルとしての衣装で立っています。一連(ストーカーの件は除く?)の"犯人"

ルミは度々、社長やスタッフらに「未麻を女優にするのは反対」と訴え続けてました。未麻に対してもです。しかし、誰も聞き入れなかった。ならば、「アイドルであった未麻」「アイドルとしての未麻」は誰が守れば良いのか。ルミ自身です。

思えば、彼女は未麻と旧知の仲でマネージャーとして未麻に関わり続けてきました。だから「未麻の部屋」の偽未麻をも作り出せるのです。未麻のことをプライベートまで熟知しているからこそ、未麻を女優業から遠ざけることもできる。

 

でも、未麻はサイトを見て、「これは私じゃない!」と言いました。未麻は、女優として生きる決心をしている。そんなことには納得できない。だって、「女優の未麻なんて偽者で、アイドルの未麻が本物なんだから」。アイドルに戻らないならば、「私が"本物"になってあげる。だから偽者のあなたは死ね」と言わんばかりに、ルミは未麻を刃物片手に攻撃します。

 

逃げ惑う未麻。振り向くと鏡や反射物には幻影としての自分が映っています。しかし、実体に目を向ければ、そこにいるのは太っちょのルミ。必死の攻防の末、未麻はルミの自分に似せたウィッグを剥ぎます。それを失ったルミは発狂。ウィッグのない自分は「太っちょのルミ」であって「本物のアイドルの未麻」ではないから。半狂乱の彼女は、車に轢かれそうに。しかし未麻が、ルミを突き飛ばし!ルミは怪我を負うだけで済みました。

 

数年後(?)、未麻はルミの精神病院に見舞いに行きます。しかし、そこにルミはいません。いるのは「アイドルとしての未麻」です。もはや、ルミは妄執の世界に入り込んでしまっていました。マネージャーもできるはずありません。それでも未麻は花束をルミに差し出します。

 

そして面会を終えた未麻は、鏡に映る自身を見る。笑みを浮かべながら一言。「私は本物だよ」

 

 

狂気的。

未麻はアイドルや女優という立場ではあれど、基本的には、先に書いたように自己イメージに迷いながら、自立・自律して生きていこうとする成人した1人の女性でしかない。

個人的には、今さんは未麻を徹底的に「ただの1人の女性」としか映さないように注意を払っていたように思います。アイドルや女優は一見、特権階級として作中で描かれているものの、未麻という1個人の女性からすれば、それは誰しもが持ちうる職業による対人的自己イメージでしかない。それが自分の努力と反比例するかのように乖離するから、幻覚や幻聴に悩まされる。彼女はそれに屈して心神喪失寸前になりそうになっても、絶対に投げ出さなかった。

 

正直に言って、犯人がルミであることは、途中から薄々感じられると思います。意外性はないと思うんです。

それよりも、作品世界を支配する「あなた、誰なの?」と問われ続ける感覚とラストの「私は本物だよ」のセリフ。

あまりに強かだと思います。と、同時に、あれだけのことを乗り越えて、「私は本物だよ」と言い放てる未麻に、強靭さ、いや語弊を恐れず言えば、狡猾ささえも感じます。『千年女優』のキャッチコピーは、「その愛は狂気にも似ている」ですが、これは全然あの作品の的を射てない。むしろこのコピーは、この作品にこそ使われるべきだと思います。

 

もし、このコピーがこちらに使われていたら?

ここでの愛は自己愛。でも未麻の自己愛は何も特別なものではありません。むしろ女優やアイドルとかの装飾を外せば、1人の成人女性としてはいたって健全、もっと言ってしまえば、"普通"です。狂気的自己愛を内に秘め、でも生きて行くそんな自己愛と対人イメージ、理想と現実、他者認識などの狭間を我々は行き来しているのではないでしょうか

だから、未麻のように神経症的な症状も起こりうるし、発狂しそうにもなります。でも、それが"普通"であるのだ、という優しいメッセージのようなものをも、この作品からは感じます(『妄想代理人』はそう言った意味では、この作品とも真逆かも。"そう言った意味では")。

 

そもそも、作品内で出てくるテーマ自体は、現代でも当然生きています。他者と自己イメージの乖離、自分が自分で無くなるような解離感覚、ネットでのなりすまし(これで数年前、秋葉原でスプリーキリングが起こってしまいましたね…)、ストーキング、職業的齟齬、偏執的なまでの神経症(パラノイア)などはむしろ、98年当時よりも今の方が如実に問題となっているように思います

もちろん、本作に先見の明があったというつもりは全くありません。むしろ、高度経済成長を終え、"近代"を過ぎた個の時代においてはある種の普遍性があるといえると思います。

だから、この未麻の持つ狂気は、他人事ではない、です。恐らく(特に、未麻のように都市部に住み社会生活を営んでいる人ほど)大小あれど、このような狂気を抱えつつ、コミュニケーションしているでしょう。そして、それは"普通"です。

それゆえに怖いとも言えますし、救いがあるとも言えます。

 

でも、様々な面で、個人的にはやっぱり、未麻は今敏作品の中でも、最も強くて、最も狂っていると思いますけどね。