「ハピネスチャージプリキュア」総話レビュー
新しいプリキュアも始まってますが、「 ハピネスチャージプリキュア」の総話レビューです。Twitterの転載ですが。
めぐみの恋愛話が始まったあたりから、なんかいろいろ違和感を感じ始めたのですが、それについてだらだらと書いてきたものを転載します。内容について、一言で先に言ってしまえば、ひとつには、恋愛をとおしためぐみの成長と、めぐみがその体現者として位置付けられた普遍的な愛(?)みたいなものに齟齬を感じた、ということ。ふたつには、めぐみの家族関係はもっとしっかり描かれるべきだったのでは、という疑問。
ところで1話時点では、このような記事を書いてたりもしてました。
◎最初は37話を見ての感想。37話はハロウィン回でした。
「ハピネスチャージプリキュア」37話を見て。お菓子かイタズラか、と聞かれて、両方、と答えるオレスキーさんは、Mの鑑、或いは、どんなかたちであれ人との繫がりを求める心性をした、悲しいさがを持つ人。しかしロケット回(33話)以降、めぐみがちょっとアヤシく見えている。誰かを助けられる→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 20
自分が好き、という子ではないか、ていう疑い(それ自体を別に否定するわけでもないが)。イノセントというのがもはや強化の条件(手段)と化し、実体のごとく……とまでは言わんけど、求めて得られるもののようにこれをえがき、衝動の発露から自然にそれが結果する、といったていで始まった33話も→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 20
アヤシかったけど、誕生日回(36話)を見ると、家族もアヤシい。難病の妻を日本に残し、海外でNGOかNPOかみたいな感じの、やりたいことをやっている、という父親も、その状態に満足できているらしい妻もそうだけど、ベランダでめぐみと父親が話す場面。「わたしね、少し気が抜けちゃった……→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 20
わたしがなんとかしてお母さんを助けたいと思っていたけど、必要なかったのかな……」「ごめんな、めぐみ」「え?」「お母さんの病気のこと、ちゃんと説明してなくて。……よけいな心配させたくなくて、あまり病気のことを言わないようにしてたんだ。親は、なによりも子のしあわせを願うものなんだよ→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 20
めぐみのしあわせが、お父さんとお母さんのしあわせなんだ……」父親の言葉を嘘だと思うとか、そういうわけではないが、自分の思ってきたこと、してきたこと、ひいては自分自身について「必要なかったのかな」と言った娘、それに対して「ごめんな」というのは、父親にそのつもりはなくとも、めぐみの→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 20
その懸念にたいして首肯するに等しい。おまえは子供だから、無力だから、みたいな。実際そういう事情については子供は無力かもわからんが。ここで「そんなことないぞ、めぐみが母さんをしっかり支えてくれてるから、母さんも元気でいられるんだ」くらい言えば、彼女も励まされただろうに、それだけの→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 20
ことも言わない父親は、(よくも悪くも)自分に正直なんだろう、みたいな印象。それとも親とか大人ってのはそういうもの? けどなんにせよそういう流れがあって、めぐみの懸念は、というかアイデンティティの危機みたいな感じのそれは、やはり続いて、誠司くんに愚痴ったり、人があんなにもたくさん→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 20
きたパーティーの主賓をやっても、消えることなく、神様に愚痴ることになる。自分のしてきたこと、(母親を助けるという思いが根柢にある)人助けという価値観が崩れかかっている以上、してきたことを肯定し、助けられた人を例として挙げてかけられる誠司くんの慰めはめぐみに響ききらず、代わりに、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 20
その悩みや、逆に迷惑だったかも、という懸念もすべて含めて、それは君が成長してるからだ、と、存在まるごと肯定してくれる神様の言葉がむしろ響く、となったのは、まぁ、むべなるかな。ただ、ここで肯定されることで乗り切られためぐみのアイデンティティの危機は、もういちど揺さぶられる必要が→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 20
あるんじゃ、とも思う。ありのままでいい、そう言われたけど、そのありのままが人を傷つける場合もある、と知る、みたいな、まぁ誠司くんのことだけど。思えばアンラブリー回(30話)も、「おまえの愛なんかでは人を満たせない」「そんなことない、ラブリーはラブリーらしく頑張ればいい」みたいな→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 20
感じで、助けたいというその思い、その思いを抱くめぐみ自身、というのは、あまり括弧にいれられたふうではなかった(或いは、偽善ではないか、みたいな感じの疑いが出なかった、とも言える)。他者の目線からみて、それが迷惑だったんでは、という疑いを持つに至った、という意味では、ロケット回→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 21
から誕生日回にかけて、「悩み苦しみながらも、みんなのしあわせを願う」というかたちで、非常に成長したともいえるが、めぐみの人助けをせんという衝動、愛、ていうか「イノセント」が、その出自(母親をなんとかしてやりたい、からの敷衍)を明らかにしつつ、それがそこから「みんなのしあわせ」に→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 21
直結し、しかしそれの内実に疑いをもたれないのが、やっぱりアヤシい。まぁ、めぐみの愛はかなり普遍的な質のそれ、みたいに位置付けられているんだろうし、けど、(視聴者だからわかるのかもしれんけど)かなり個人的な過去としてツラいことがかつてあり、それによって「しあわせな状態にある自分」→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 21
になることを認められずにい(て苦しんでい)る幻影帝国幹部の苦しみと、それに対峙するめぐみの愛とに、なんかちょっと齟齬があるような感じもある。まぁなんにせよ、若干14歳の少女に対して、いいがかりみたいなもんである。けど、普遍的な愛を体現しているっぽいわりに、しかし、自分について→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 21
単純な他者目線という以上の抽象的な観点から問い直しのされないままでいるめぐみさんのこの状況には、もう一波乱あってもいいなぁ……という感想がこれ。「いろんな愛がある」みたいなことをゆうこが言ってたけど、その「愛」で含意されるたぐいのものがどんな位相にあるのかは、考えてもいいと思う。
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 21
◎次は、上の呟きの続きみたいな感じ。
恋も世界も、でなくて、恋する力が世界を(救うため(に不可避)の与件である)、になると、何者かの悪意……とはちょっと違うか、けど、少女の思いを(ほしいままに)利用せんと(して世界を救うか何か)する構造と、それの実行者の存在、これらがすなわち(より尖鋭なかたちで)前提とされるわけで→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 25
それの是非はともかく(これをナシとするのもよくある話)、けど、その描き方に或る程度の自覚はいる気がする。「ガンスリンガーガール」みたいにその歪みを前面に押し出すのもあれば、或いは「まどか☆マギカ」みたいに、少女(ほむら)によってその構造が彼女の欲望のために逆手にとられ、挙句転覆→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 25
せられて取り込まれた(そしてどうなったのかはよくわからんが)、というのもあれば、「魔法陣グルグル」みたいに、むしろ世界を救うのがついで(ていうか魔王もなにもかもぜんぶ恋の成就の布石に使っただけ)というのもあれば、「最終兵器彼女」や「イリヤの空、UFOの夏」みたいな、まんま少女を→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 25
利用しようとした(前者は失敗して後者は成功したが)、というのもあるわで、まぁ他にもいろいろあるだろうけど、まぁ結局ハピプリの話になるんだけど、神様によってプリキュアは恋愛禁止とされつつも、しかし、結局恋愛にイノセント=強化の契機が帰されがち、というのに違和感がある、という感覚。→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 25
思春期の少女の心の揺れ動きがすなわち力になる、というのはわかるし、恋愛で強くなる、というの自体を否定はしないが、だとしたら14歳かそこらの少女にイノセントと言ってすなわち強化に繫がる思いや或いは契機ということで、なにを期待しているのか、なんというか恋愛禁止としておきながら、結局→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 25
恋愛に行き着きやすいように、話が組み立てられている感じがある(そもそも恋愛がテーマとはいうけど)。とは言えその責が神様に帰されるべきとは思わない、あまり。ジゴロっぽいとは言え、上司(?)として、そもそも神として、人にやさしい言葉をかけるのは当然の筈だし(と思いたい……)、問題は→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 25
やっぱり家族関係のそれが強いと思う、特にめぐみに関しては。ハピネスチャージのなかでは、ゆうこがひとり頭ひとつ大人のような印象があって、かつ、ただひとりイノセントが恋愛絡みではないけど、それは彼女の家族関係があの4人のなかでもっとも恵まれているからでは、とも思う。めぐみの両親は→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 25
あんなだし、ひめの家族はブルースカイ王国あんなだし、いおなは両親がどうなのかはわからず、一緒に道場をしている祖父を除けば、姉は封印されているしで、これら3人は、心のよりどころとなるものが少ないように見える。世界を救うために戦っている子達がこれというのは、なんか皮肉を感じないでも→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 25
ない、という感じ。まぁけど、やっぱりこのなかでは、めぐみが一番問題含みに見える。
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 10月 25
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◎次は41話を見ての感想です。41話はファントム戦でした。
「ハピプリ」の神叩きにはいまひとつ納得いかない感がある。スケコマシっぽいのは確かだが、人に向ける好意(厚意)は須く恋愛的なそれでなくてはいけないのか。それにこいつも、母の日回に皆がブルースカイ王国に行ったとき(15話)、自分だけがぴかりが丘に留まっていたのが、めぐみとの会話など→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 23
経て、自分の思いを確認して、クイーンミラージュ様とも対面し、最新話(41話)では自分も王国に乗り込むまでになっているのだから(状況の違いもあるだろうが)、いわば成長を遂げているわけで(上から目線の解説とかはちょこちょこしているが、まぁ神だし)、ただただこいつをスケコマシと言って→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 23
加害者のように扱って一方的に叩く、というのは違う気がする。そもそもクイーンミラージュ様の境遇に関しては、フッた男よりも、フラレて弱った心に付け込み闇落ちさせたディープミラーが圧倒的に悪い、とするほうが普通ではないか(こいつも正体はよくわかってないし、評価を下せない感はあるが)。→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 23
プリキュアにそういう恋愛のゴタゴタ求めてない、という理由なら特に反論する理由もないが、ブルーの挙措すべてがすなわち批判に値して当然、とする反応を生ぜしめるような価値観、それを皆が持っていて当然、とする雰囲気にはなんか違和感という感じ。まぁどれくらいネタまじりなのかはわからないが。
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 23
◎次は43話を見ての感想です。43話はミラージュ戦でした。
「ハピネスチャージプリキュア」43話視聴。ラブリーに敗れてのち呆然と俯いていたミラージュ様の表情、戦闘時の幻想的な光景、迫力ある戦闘、等々が印象的。ラブリーが、プリキュアとして利用されているのでも構わない、私は自分が自分でいる幸せを学んだ、とか、そんな御託を言ってミラージュ様を→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 7
説得せんとしていて、見返りを求めぬ愛、といった点はいいにしても、「本当の自分」とかいうものを担保して貰えたら「利用」されるのでもかまわない、とする(?)その価値観には、単純に肯んじてはいけない気が。そもそも、めぐみが神様に認めてもらったのは、「本当の自分」ではなく「ありのままの→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 7
自分」、的な意味合いのそれではなかったか。世界を救うという方向へと結果的には進んでるが、若干14歳のめぐみをしてこんなこと思わしめている彼女の(生育)環境は、やはり考慮すべきものであり、その内実について問い直すことなく口にされる「愛」とかいうものが、搾取的な何者か、構造などへと→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 7
その人を、盲目的に、或いはその人が望んだというかたちをとって、しかして従属せしめる場合がある、ということは、考え併せておかねばならない、と思う。ラブリーの言う「愛」に普遍的な性質を付与したいのか、まぁしたいならすればいいだろうけど、少し短絡的にすぎる感は正直ある。ミラージュ様と→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 7
ブルーの恋路を応援する、すなわち自分の恋を諦める、という選択をめぐみはすることになったのだろうが、彼女は「母を助けたい」という思いがそのままには叶わないことを知っている、謂わば「みずからの思いが裏切られる」、という状況を既に経験してはいるわけで、かかる状況への耐性はなんだかんだ→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 7
あると考えて差し支えないのでは。となると今度は、自分が「だれかの思いを裏切る」場合とてあることを知る番、つまり、誠司の恋心といかに向き合うか、が問われる番、これがくるのではないか。というか、そういうのを通して「愛」について問い直さなければ、めぐみの「愛」の胡乱さは消えないと思う。
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 7
◎次は44話を見ての感想です。失恋しためぐみを誠司がなぐさめる回。
「……人のことばっかだな」
「そんなことないよ〜。でもだれかが嬉しそうにしてるのって、心があたたかくならない?」
「おまえが本心でそう思ってるのはわかってる……けど、ときどき思うよ、本当にそれで……おまえは幸せになれるのかって……」
「……」
「……むりして笑うなよ、せめて俺の→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
前くらいは……ほんとのこと、言ってくれよ……」
「……世界がもとに戻って、街中のみんなが明るくなって、ミラージュさんが幸せになって、ブルーも幸せになって、……それはほんとに嬉しくて、……嬉しくて……、……だけど……なんだかすごく、胸が苦しくて……とても嬉しいはずなのに、なんだか→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
とても……哀しくて、……だけどすっごく……嬉しくて、……でも……苦しくて……。……私……、……失恋、しちゃった……」
「ハピネスチャージプリキュア」44話、神に対して和気藹々と語られる誹謗あり、少なからぬ視聴者の溜飲が下がった回か。個人的には延々と引用しためぐみと誠司の会話が→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
お気に入り。「本心」と「ほんとのこと」が別にある、というのは言葉としては矛盾してるようだが、人が得た幸せ、それを喜ぶ気持ちと、自分の失った幸せ、それによっての苦しみ、そうした感覚がともにあるというのはごくごく普通のことであり、その相剋とようやく向き合い始めてくれた、という感じ。→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
家族にかんするそういう悩みは神の存在によって(そのときは)癒されたようだが、その神、「利用されていてもかまわない」とまで慕ったその支えを(恋愛的次元において)失っためぐみは、ディープミラーからの精神攻撃を、「みんながいる」、「この気持ちもぜんぶうけいれる」、といったことを言って→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
乗り切るが、その際その「みんな」なるものに生彩を与えるのは神ではなし、今度は誠司になっている(誠司、プリキュア達、誠司、といった想起の順番)。誠司はまだ「俺がいる」と言い切るまでにはなれてないが、それでもひかえめに自分「こそ」がめぐみの支えになれるんだ、という気持ちは伝えている→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
(俺が、俺が、みんながついてる、って言ってるあたり)。めぐみの胡乱さの理由でもあるだろうが、彼女はひとつのこと、神様に慰めてもらえた、誠司に慰めてもらえた、といったことがあると、それを敷衍して、世界を守る、みんながいてくれている、といった感覚の肯定に繋げられるらしい。まぁそれは→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
普通なら別に非難さるべきものでもないだろうけど、めぐみの場合はそういった感覚の混同があるように見える感じもする。シームレスにイコールと言うか。その感覚について問い直し別々に考えることがないというか。言いがかりな感じもするが。けどディープミラーの精神攻撃も、おまえが苦しんでるのに→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
みんなは幸せそうだぞ、というもので、めぐみの感情を世界への攻撃に転化させんとしているが、或る種めぐみのつらさの肯定とも見做せる。するとディープミラーの態度は或る意味、ブルーがめぐみに対してとった態度と表裏一体な感じもする。けどめぐみにはミラージュになかったもの、仲間がいるゆえ、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
それを思う気持ち、これはきっと世界とも繫がっているものだが、これを思い出すことができ、彼女はみずからの感情に浸りきらず、ディープミラーの甘言に乗らずに済んだ、そしてひときわ強く影響を及ぼしたのは誠司だった……のだろうが、なんというかあまりに「いい子」な流れな感じもある。というか→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
それがうだうだこう呟いてしまうもとでもあるが、自己の問い直しもなく、身勝手な「エゴ」もなく、その前向きであることを称揚されてきたような「いい子」でめぐみがあることに、胡乱……でなし、「悲惨」を感じなくもない。だから今回の誠司による「おまえのほんとうの幸せは?」という問いかけは、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
ようやく来たか、という感じがあった。愛野家の在りようのなかで感じたであろう悲しみとか不安とか、自分の目の前で元鞘の元カノとキスかましやがった神への憤懣とか、そういうのにもっと向き合ったあと、今まで気付かなかった誠司の思いとも向き合って、「いい子」であるばかりの子供でなし、大人に→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
だんだんなっていく、という展開が来ないか、という期待……。そういやひめの誠司に対する恋心もほんとうに「気のせいだった」とかいうご都合主義的展開で終わらしていいのか、というのもある。そんなこんな感じ。来週から誠司が敵にまわるらしいのは宜なるかな、というか当然の展開、だと思う。
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 12月 14
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◎最後に最終話まで見ての感想です。
「ハピネスチャージプリキュア」最終話までの感想。宝玉を寄り添わせ、誠司との未来を思わせて終劇、というのは綺麗な終わり方だった。レッドの過去は、惑星が何によって滅びたのか、など、もっと語ってほしかったけど。愛した人間同士が戦い滅びる姿に絶望したとか、どんなに愛しても災害抔で滅びて→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
絶望したとか。それが語られないまま、結局は滅びる、と言うばかりで、「愛」とはなんなのか、ということも併せて、レッドのその絶望の(視聴者への)伝わり方にはどこか上滑りしてる感があった気が。個人的には、この作品の「愛」の扱い方に、最後まで疑問があった。細かくいうと、めぐみの恋愛話が→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
始まって以降、「家族愛」の問題が「異性愛」すなわち「恋愛」の問題へと置き換えられ、そうした展開をとおして語られた「愛」が、継ぎ目なく「世界に広がるビッグな愛」「永遠の愛」などになっていったこと。人(など)への思いやり的な感じで、なんとなく捉えることはできるし、そもそもが感覚的な→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
ものではあるだろうし、小さい子相手に「愛とは何か」と問うことの有効性が疑問だったりはするかもしれないが(ただし小さい子を見縊った態度には違いない)、「愛」の種類を問わないままでよかったのか? 家族愛と恋愛(異性愛)、そして普遍的な愛、こうした「愛」には、その特性を異にする部分が→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
ありはしないか? ただ捉えようによっては、めぐみの物語はこうした流れでよかったといえる可能性はある。つまり、母親の病気について、家族(或いは親子)の問題と捉えていたら、自分はそれに関わる頭数にいれられておらず、排他的な父と母の関係における問題とされていた、と気が付いた。家族から→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
或いは親子の関係から切り離された、とも言い得ようその事態は、すなわちめぐみの「自立」を促す第一歩でもあって、そこから彼女は、恋をするなどし、家族という所与以上の、自分自身で打ち立てる新たな関係を築いていくことになった。そして、その階梯にあったのが、神への恋情であり、失恋であり、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
誠司の思いとの対峙、等々であった、と。言ってみればこれは、人間めぐみの成長物語としてこの作品(の後半部分)を捉えるものである、が、これではまだ半面な感じ。もう半面は、彼女が最終的に至った「フォーエバーラブリー」の境地、彼女が体現するに至った「普遍的な愛」、みたいな「愛」の側面。→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
けれど、恋愛沙汰を経たのち見るに至った愛は、はたして普遍的な愛と同等視できるのか。恋愛沙汰を経てその存在を確認した(?)内なる愛は、普遍的な愛の論理に則ったものと見れるのか。「世界に広がるビッグな愛」とかいってるし、これを統合的エロス的な論理の一側面と見ることもできるだろうが、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
こう言ってしまうとだいぶ性的な含意が生じるから、小さい子むけの作品としてはそぐわない気もする(本当にそれをやった、とかだったら敬服するけど)。まぁこれは深読みのしすぎか。この作品において最終的にえがかれた「愛」は、人への思いやり、とか、人を受け容れ排撃しないこと、くらいの意味で→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
捉えるのが妥当なのかもしれない。それが象徴的に表されている場面もある。すなわち最終話、増子と生瀬の会話。テレビ番組の取材でアポも取らずに「元幻影帝国の幹部の生瀬さんですね」などと突撃取材を普通するか? それを放送できるのか? そもそもそんなして個人情報が割れてて大丈夫なのか? →
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
日本人の心性を思えば、ナマケルダは現実生活或いはネット上などでも非難され、まともな生活はもはや望むべくもなかろう。外患誘致とか言われたりもして(すなわち死刑の正当化)。しかし増子と生瀬、それを見るめぐみ達の会話からは、そんな雰囲気は感じられない。オレスキーとホッシーワも含めて、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
3人とも普通に社会人やれていることを思えば、公的私的いずれの制裁も科されてはいないと思しい。やさしい世界である。過去に犯した罪などにかかわらず、人を世界(社会)の一員として受け容れること、それを可能ならしめる心性を以てこの作品に於ける「愛」としていいのなら、それはそれでひとつの→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
確固たる主題、「愛とはなにか」への答えである、とも言えはするだろう。しかしそれは、恋愛をとおして見出される主題だったのか? 恋愛とは排他性が担保された男女(或いは同性)の関係のことだろう。相手に普遍的な人間性を見出す、みたいな感じで普遍的な愛への道はあったりするかもしれないが、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
基本的なその排他性は看過してならないようにも思う。めぐみは男女の関係から二重に排斥されたのであった。ひとつには父母から、またひとつには神とミラージュ様から。家族のなかで得られなかった(ように思われた)愛を、恋愛において得ようとすること、恋愛における愛で代替せんとすること自体は、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
まぁ儘あることなのかもしれない。しかしそれは再び家族と対峙することもなしに、普遍的な愛へと繫がっていってよいのか。普遍的な愛の境地に至れば、家族の問題と向き合わなくてよいのか(それとも描かれない、私が知らないだけで、愛野家はもうわかりあってるのか?)。結果として誠司によって担保→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
されることですべてが調停されたがごとくなった「愛」、これを以て「世界に広がるビッグな愛」としてよいのか。つまり、(自律性などの称揚には相対化されるべき資本主義産業社会の特徴という側面があるとしても、)その成立する基盤が他者すなわち誠司にあるような、普遍性を謳いつつそのじつ他律的→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
であるような「愛」は、果たして世界を救うほどに確固たる愛なのか。もし誠司がいなかったら、或いはこれから先いなくなったりしたら、それはその後もあり続けることができるのか……というのは、47、48話あたりまで思ってたこと。最終話最後の場面、宝玉に関してめぐみと誠司が交わした会話は、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
こういう疑問に対する絶妙な解答だったように思う。ふたりとも「大切な人ができたら渡す」、と言っていた。「大切な人は誠司(めぐみ)だからここで渡す」、などとは言っていない。もちろん、大切な人が誰なのか、お互いわかりあっているから、と捉えるのが自然なのだろうが、しかしここでそれを明言→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 10
しなかったことを、めぐみと誠司における「愛」の相対化と解していい気がする。幼なじみという関係の単なる延長であるとか、神がダメだったから誠司で妥協する、といったそれでは決してない、新たな関係性の始まり、めぐみと誠司の関係の再出発として、この場面を見れはしないか。それは、他の子等が→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 11
結晶投げて当たった人と友達になるとか一緒にご飯食べるとか言ってるのと対応してもいる、新たな関係の始まりという意味で。家族と離れ(ざるをえなかっ)たように、ここでの彼女は幼なじみという所与からも離れたのであり、これを以てめぐみの真の成長、などということもできるようには思う。ただし→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 11
こう考えてみても、それはあくまで人間めぐみの成長でしかないのでは、という疑問を個人的には拭いきれない。普遍的っぽい愛を謳うわりに、話はプリキュアや神、或いはぴかりが丘の人々の関係にばかり集中していて(世界のプリキュアとかオマケのごとく出はしたが)、普遍的な、「フォーエバー」な、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 11
「世界に広がるビッグな」感じがあまり出てない。ただ、地球を司る(?)神との関係を以て普遍性の担保とすることもできるかもしれない。それを以て、異性愛において語られる愛をとりもなおさず普遍的な愛と結びつけることもできるかもしれない。しかし、「神」という特権的な位置にある者としては、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 11
奴は普通の人間っぽすぎる感がある。愛とか、気にかけ続けた、みたいなことが言われもするが、彼の地球に対する貢献がなんだったのかとか、よくわからないし。ごちゃごちゃ書いたので約言すると、めぐみの成長譚としてはかなり綺麗にまとまっていたが、そこで彼女が見出した愛を、普遍的な感じのもの→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 11
として位置付けたのには疑問がある、という感じ。「愛」の濫用というか。成長譚としては、アイデンティティの危機から始まっためぐみの恋愛が、最終的に(誠司などとの)新たな関係を築ける自分になる、というところでひとつの決着を迎え、誠司との未来を思わせる絵で終わった、という感じで、綺麗な→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 11
終わり方だったように思う。だが、めぐみをしてそのアイデンティティを危ぶませた家族関係は、再び扱われるべきだったと思う。娘の恋愛沙汰にいちいち口を挟む親は気持ち悪いかもしれないが、神に失恋した時だって出てこなかったし。親からの自立としての成長をめぐみに見出せるとはいえ、親をこうも→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 11
看過しっぱなし、というのにはやはり疑問がある。投げっぱという意味では、いおなの恋愛話とか。最後あの少年を道ですれちがう程度でも登場させて、彼女に「彼への答え、ちゃんと考えなきゃ」くらい言わせてもよかったんでは、とか思ったりもする。ひめは誠司への恋心が勘違いであるとして終わったし→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 11
ゆうゆうは最後までご飯という軸をブレさせないし。ひめとナマケルダ、ゆうゆうとファンファン、みたいな関係の布石(妄想の余地)は多分に残されはしたが。まぁそんなこんな。変に普遍的な愛みたいのを謳ったりせず、恋愛話以後のめぐみと人々との交流を描いてくれてたら、という結論で感想は終わり。
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2015, 2月 11