映画『メトロポリス』感想
「メトロポリス」視聴。手塚治虫原作のほう。レトロフューチャー的な街、その上層から下層に至るまでそのすべての光景、またそこでのこまごましたなにか物とか機械とかモブなど、これらすべてが緻密にえがかれてある映像はとても綺麗で圧巻だった。CGも(クドいまでに)ガチャガチャやっていたけど→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 11
その機能とはまるで関係なく思えるほど無駄に動きをみせる機構は、機械的な有用性を超えたその無駄さのゆえに心惹き付けるものがある。内容は、あくまで私がみた感じだと、人間の機械観、ロボット観、というのがその主題か、或いはロボットであるとはどういうことか、みたいな。けど薄味な感じもする→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
作中では「憎しみ」の感情がもっともわかりやすいかたちでえがかれている。「超人」的なロボットたるティマに熱をあげるレッド公を諌めて、ティマを排せんとするロック、ロボットに仕事を奪われた労働者達、そして、超人の椅子に坐ることでロボットに関する情報を手にし、ケンイチと共にあった自分を→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
忘れ去り、「ロボットたちを弄んだ罰よ」と言って人間を亡ぼさんとしたティマなど。或いは、(労働をとったと見做されているせいもあろうが)人間によって酷使され、無惨に壊されたりもし、ティマの擡頭と共に蜂起を始めたロボットなども。後者3つはともかく、ロックは父代わりであるレッド公に心酔→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
していて、政治結社マルドゥクの総帥など任されてもいるが、しかし冒頭で、息子などではない、孤児だったのを拾って使っているだけだ、などと突き放すようなことを言われてもいて、なぜそんなにレッド公を好いているのか、ちょっとよくわからない……が、そうした彼の事情は、目覚めてのちのティマ、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
そしてロボットの在り方、これらに対置できるだろうと思う。すなわち孤児であった彼にとり、自分の存在は「父」すなわちレッド公あってのものであり、父こそが彼にその存在理由を与えるものであった。それはティマも同様で、作りの親であるロートン博士をロックに射殺された彼女は、初めて会った人間→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
であるケンイチ少年を「親」だといい、また最後、崩壊するジグラッドから落ちそうになり、助けんとその手を摑むケンイチに対して、ギリギリ自分を取り戻したらしい彼女は、「ケンイチ……私は、だれ?」と呟きつつ、結局少年の手を離れ落ちていってしまう。親を思い出してしかし自分を思い出せない。→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
ロボットは人間によってなにか或る用途のため生み出され、それがその存在理由となる(としておく)。すなわち「他者」によってこそ自分が何者なのかが規定される。その点で「ロック」と「ティマ」は相似な存在と言えようが、ロックはレッド公への忠誠のためにあえてその命令に従わず、ティナは自分を→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
失ってしまい、ロボットの人間に対する憎しみを体現することで、人間であり父であるケンイチに(一時)反抗することになる。人間の力の誇示、神への挑戦みたいな感じで創世記のバベルの塔を解釈するなら、レッド公の建てたジッグラトもまたみずからの力を過信した果てに崩壊し、忠義を内奥に宿しつつ→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
みずからの手で父親を諌めんとしたロックの企てその過信も不首尾に終わり、そして、ロボットの代表として自分達の造物主たる人間に叛旗を翻すことになった(ティマならぬ)ティマも、最後はバラバラになって壊れてしまう。その目的、とった手段、等々いろんな違いはあるものの、どれも或るかたちでの→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
反抗、みずからを規定する他者へのなんらかの反抗ということで、これらをおおまかに見れるだろう。ロックはレッド公への、ティマは人間への、ではレッド公は? レッド公はオモテニウム発生装置を以てロボットを暴走させんとし、また、規定以上の行動をとるなどしたロボットを破壊するマルドゥク党の→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
設立者であり支援者である。つまり、レッド公が対抗しようとしていたのは人間社会に遍く這入り込み始めたロボットであり、つまりここからは、ロボットがむしろ人間を規定し始めている、それゆえの反動的なロボットの排斥である、という解釈が……出てこないかな。かなり拡大解釈しすぎの感もあるが。→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
しかしそうなるとレッド公はロボットの力を以てロボットひいては人間をも支配せんとした、ということになって、少し不合理な気もするが(敵対勢力の手を裏で借りて、というのは、展開としてはままあるが)、しかし、そうした相反する行動がひとつの人物において見られる、というのは、ロックにしても→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
ティマにしても、そうであったとはいえまいか。すなわち、愛する父の命への不服従、みずからの名を問うた相手の忘却。もうごちゃごちゃしてきたので約言すると、この映画においてロックとティナというふたりの人物に焦点をあてた際に見えてくるのは、「他者」とそれによって規定される「私」、という→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
テーマではないか、という感じ。そこでみずからはどのように在ることができるか、みたいな。視聴者は人間なわけだから、みずからを人間の側に定位して、人間にとってのロボットとは、と問うのが自然なんだろうが、けど人間は人間という言葉を以てはみずからを規定できないのであって、ロボットとは、→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
と問うその疑問は、翻って、人間とは、と問うこともなる、みたいな言葉を出してお茶を濁す。最後に少し。「有り余る性能の揺らぎが、感情や愛のかたちをとっているだけなんだ」という台詞からは色々考えさせられる。とりあえず文字通り受け取ることにするなら、ロボットにとり感情や愛とは、課された→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
目的をいまだ果たさぬ状態において余剰として結果する、いわば夾雑物にも等しいもの、みたいな感じになると思う。しかし超人の座についたティマは、人間に対する憎悪にも似たなにかでもって衝き動いていた。果たしてロボットにとって感情とは本当に夾雑物か? ペロも一見した限りでは感情を表する→
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12
ような言葉を遣っていたし、掃除ロボットのフィフィも「やさしさ」と受け取りうるしぐさを色々みせていた。ロボットとして特権的であろうティマとその他をそのまま比較していいのか、みたいなツッコミはありうるだろうが、ロボットにおける感情(表現)という問題は大きなものとしてやはりある感じ。了
— 110、ツインテールになりたかった (@it_takes_davi) 2014, 11月 12