ワールズエンド・サテライト

アニメ・漫画の感想・考察,アニソンレヴューのページです。京都の院生2人で編集・更新しています。

14年夏期アニソンランキング5

 

時が流れるのは早いもので今期も多くのアニメが最終回を迎えたので、例期通り、個人的に観ていたアニメからアニソンランキング化してみます。

 

候補となったのは、僕が今期観ていた10アニメ(『アオハライド』『アルドノア・ゼロ』『月刊少女野崎くん』『グラスリップ』『ちょぼらうにょぽみ劇場第二幕 あいまいみー-妄想カタストロフ-』『東京喰種』『ハナヤマタ』『秘密結社 鷹の爪 エクストリーム』『Free!-Eternal Summer-』『ヤマノススメ セカンドシーズン』)において、OPあるいはEDとなった17曲の内から選出。

 

自分、ダビさん共にしばらく更新が滞っていましたが、ひとまずこれはやらねば、ということで宜しくお願いします。

 

 

5.フジファブリック「ブルー」(『アオハライド』ED)

ブルー/WIRED(期間生産限定アニメ盤)

ブルー/WIRED(期間生産限定アニメ盤)

 

最近、特にSMEに移籍されてからのフジファはアニメなどのタイアップが増えていますね。

つり球』のOP「徒然モノクローム」、『宇宙兄弟』のOP「Small World」、『銀の匙』のOP「LIFE」に続いて、移籍後4回目となったのが、『アオハライド』のEDであるこの「ブルー」でした。今までアニメとタイアップされた3曲がアップテンポな曲が多いかった中、「ブルー」は金澤さんの叙情的なピアノのイントロから始まるミドルテンポのバラードでした。

そもそも、惜しくも夭折してしまった才能、志村さんがご存命だった頃から「茜色の夕陽」「赤黄色の金木犀」「同じ月」などアンニュイな叙情風景を描き出すことには定評のあったフジファですが、今作「ブルー」もその思春期特有の気の抜けたサイダーのような、でもどこかで弾け足りずにくすぶっている気ままな感情が『アオハライド』のトゲトゲしくも優しい世界を素敵に彩っていたと思います。

 

歌詞としては先期の『一週間フレンズ。』のED「奏」によく似た、さよならを告げる改札前の光景を描いたものですが、これは「奏」とは違い、片思いが主体の曲。そこで、少女漫画由来のエッセンスで双葉の切ない気持ちとリンクします。

言いたい言葉が溢れるようにあるのに、それだからこそ、一言もまとまった言葉が出せないという感傷的な気持ちが連なっていく様は、王道ですがパレードのようなEDも相まって甘酸っぱい季節を思い出させます。曲としては例えば、フジファとしての前のフルアルバムの終盤を高揚した気分から一気に肌寒い夜の静寂の感傷の色に染め上げる「春の雪」の延長線上にあるような、ピアノとギターのゆるやかなアンサブルが主体のもの。

ただ個人的に曲を聴いて思い描く風景が、どこか田園風景を思わせる地方都市のそれだったので、『アオハライド』で映される首都圏の都市のものとは違うので、その齟齬が引っかかったもののアオハル(=青春)をフジファならではの叙情で包み込む素敵な曲でした。また非常に余談ですが、アオハルというタイトルから、(先期でメレンゲからリスペクトを込めオマージュされた)スーパーカーとそのシングル「AOHARU YOUTH」を思い出したのですが、先期のメレンゲの盟友であるフジファが今期の曲を書いているということで、今年はアニメを観ていてもスーパーカーの残したものをよく感じますね…(かなり強引なこじつけ)。

 

 

4.チーム・ハナヤマタ「花ハ踊レヤいろはにほ」 (『ハナヤマタ』OP)

花ハ踊レヤいろはにほ(CDのみ)

花ハ踊レヤいろはにほ(CDのみ)

 

今期、アニソンという観点でみれば、それがOP・ED共に作品世界と最もリンクしていて、なおかつ、ただアニメ作品のおまけ的なプロダクションで終始するのでなく、リスナーであるこちら側に曲としての面白みを伝えてくれるという点では、『ハナヤマタ』が頭一つ抜けていたように思います。

4位はそのOPで声優陣による「花ハ踊レヤいろはにほ」。

 

ある種の「お約束通り」、それぞれ多少のコンプレックスを持ってはいるものの普通の女子高生たちがよさこいに目覚めていくというストーリー通り、この曲も年頃の少女の乙女心をちょっと文語っぽいボギャブラリーを多用しつつキュートなボーカリゼーションで歌い上げる和風ポップス。曲調としては、アップビートのロック寄りのポップスで、パっと聴きでは普遍的なギター、ベース、ドラム(太鼓ではない)、シンセ、ボーカルというスタイルではあるものの曲の随所で鈴や鳴子の音色がフィーチャーされていて面白い。特にサビの直前の鳴子の打音にこういった曲ってありそうでなかったよなぁと思わせます。

それが、いかにもな和音階ではなく英米由来のポップロックと歌謡曲とが混合したJ-POP的な作法の中で鳴っているのがおかしさもあって、例えば米国のSonic Youthが冗談で鳴子をドラムスティックに使った時のような、日本人だからこそ「その発想はなかった!」

的なものを感じます。

それに加え、どこかこの曲のイントロのメロディはダンス・ダンス・レボリューションで10年前くらいに一世を風靡したSMiLE.dk「Butterfly」("アイヤイヤー"のコーラスワークでお馴染み)のそれを思わせる。つまり、現代の西洋人から見たちょっとズレた昔の日本の風情のような。笑

 

歌詞面では、とにかく、選ぶ言葉のチョイスがメロディにとても綺麗に乗っていて心地良い。文語調の言葉を選んできて、ここまでポップスのメロディにうまくのせる様はすごく爽快です。ベタですが、特にサビの"いろはにほパーッとパーッと晴れやかに"は、その和風テイストも相まって現代の本歌取り(明らかな誤用法)のようにも思えます。

そもそものいろは歌が東洋思想が色濃い無常観と今ここの享楽に埋没するものか、というような意味の歌ですが、この曲は同じ散り行く桜吹雪に想いを馳せながら今この時を祝福し踊り歩いて行く歓喜が鳴っているようです。

個人的にはサビにおける間の手、一回目の"ハイ!"は良いものの、二回目の"ハイハイ!"は蛇足のように思われてもったいないなと思うところがあるのですが、曲としての完成度と遊び心が面白い曲でした。

 

 

3.smileY inc.「花雪」(『ハナヤマタ』ED)

花雪(CD+DVD)

花雪(CD+DVD)

 

3位は同じく『ハナヤマタ』から、より「露骨」 なEDのこちらを。

 

サビが音ゲーの中級者曲でありそうな、いかにもいわゆるオタク層なリスナーの琴線に触れそうな和風ロック。

と一言書いて終わり、としても良いのですが(笑)、もうちょっと考察してみます。

 

ゼロ年代初期〜半ばにかけて、「和製ロック」というバズワードが生まれました。これは日本語で歌うのはもちろん、和音階を大々的にフィーチャーした曲やロックよりは昭和歌謡を下地にした曲あるいは雅楽で使われるような楽器を用いた曲をリリースしている、露骨に古来の日本を思わせるテーマを前面に押し出している、和装などルックス面でのスタイルを表しているなどのアーティストを無理くり一つに落とし込めるワードでした。

ここで和製ロックとされていたアーティストは例えば、GO!GO!7188THE BACK HORN椿屋四重奏エレファントカシマシ倉橋ヨエコあたりですかね。

特に、GO!GO!、バクホ、椿屋は非常に和製ロックとされていた記憶がある。

ただこれ、バズワード中のバズワードで定義があまりに広い上に、例えば挙げたバンドでも一貫して和風の曲ばっかりやってた訳でも日本的なルックスに終始していた訳でもないので、言葉だけ大きくなって実体はそれほど大きかったのか疑問視されるところ(例えば、聴き方を捻ってみれば色んな意味で非常に愛国心が色濃く見えるヤプーズや能・狂言の歌い回しでヒットしたヒカシューなんかまで遡及して日本語ロックとされることはなかったところも疑問。人間椅子四人囃子なんかは時たまに日本語ロックの祖先のように扱われていたけれど)ですが、ともあれ、「日本」というものを記号性を帯びつつも強烈にシーンに認識させたところはありますね。今でも、女王蜂やキノコホテルなんかは和製ロックの影響下として語られるところもあるんじゃないでしょうか。

 

 

これとは別に、ガールズロック(当時の言葉を使えばギャルバン)界隈でも日本回帰のようなものがありました。90年にJITTERIN'JINNが「夏祭り」をリリースして、夏の夜の祭の熱も覚めやらぬ恋心をノスタルジックに歌って以降、特にガールズロックと「和風」は親和性を高めました。そして、それをWhiteberryが浴衣ルックスでカバーしてゼロ年代初頭に大ヒットしてから、全国の高校や大学の純朴なギャルバンが学園祭で浴衣でステージに上がる光景は最早、日本の風物詩となったと言えるでしょう(何バンドも観ました。笑)。もちろん、同世代でそれに乗らなかったアーティストも多いですが。

先のヤプーズなんかの先代からの下地がありつつ(?)ガールズロックは日本的なものとよく共鳴していた。

 

この和製ロックと和風ギャルバンの間を仲介してインパクトを残したのが、GO!GO!7188だと言えると思います。特に彼女らの3rdアルバム『鬣』はほぼ全編、和音階や歌謡曲を大きくフィーチャーした曲を昭和GSブームを再解釈したようなスタイルで鳴らし、当時の「和」回帰の雰囲気を克明に映し出していると言えます(特に、彼女らの代表曲でもある「浮舟」はここ、京都は宇治が聖地である(笑)『源氏物語』の宇治十帖の一つ、「浮舟」とそのキャラ、物語をモチーフにした歌詞と琴などをシミュレートしたシンセにいかにもな和風のメロディ、それにグランジ的なディストーションをかませまくった轟音で和の叙情を描いていて特に和製ロックとしても和風ギャルバンの曲としても評価が高いのではないでしょうか)。

 

さて、GO!GO!は「ジェットにんぢん」という曲で無許可でJITTERIN'JINNの名前を歌詞に入れるなど伝統的な和風ギャルバンとも接続できるバンドでしたが、そもそも現代に至るまで和製ロックと評された、評され得るアーティストに女性が在籍している率が高い。ここまでで挙げたバンドのほとんどが女性が在籍しています(…とは言いつつも、ここまでで完全にガールズバンドなのはWhiteberryのみ。苦笑)し、他に挙げるなら東京事変(および椎名林檎ソロ)などもしばしば和性と女性性を結びつけることに一躍買っていた気がします。

アニメ界隈に話を戻すと、近年ではすーぱーそに子の第一宇宙速度が浴衣ルックスを披露したこともありますし、放課後ティータイムも浴衣ルックスでステージに上がっています。

 

さらに話を戻して、この『ハナヤマタ』のED。最初に聴いた時は、そういった和製ロックと和風ギャルバンとが結びついて行く流れを思い出させました。

この曲自体は、めちゃくちゃ和風のメロディだとか和楽器を使っている訳でもないのにも関わらず(これは和風ギャルバンと同じ)確かに和を感じる。それは、この曲の言語感覚、シミュレートしたものがそういった和風ポップスの流れを思わせるからではないかと思う訳です。より率直に言えば、和製ロックと和風ギャルバンとが混ざり合った以降の流れにおいて和製ロック寄りのアプローチで作ればGO!GO!っぽく、和風ギャルバン寄りのアプローチで作ればこの曲みたいになるのではないかと思います。

歌詞もそれほど日本っぽさを前面に押し出しまくった訳でもない(もちろん、「桜」「お月様」「御伽ノ国」「姫」なんかはちょっと古風な日本を思わせるけれど、特筆するようなものでもない)けれど、和的である…不思議な感覚ですね。

 

あと、アーティストとしては作品中で多美を演じた声優の大坪由佳さんとVOCALOIDアーティストのユニットとなっているけれど、アーティスト名が明らかに、先に挙げたスウェーデンユニット、SMiLE.dkのパロディにしか思えません。笑 これからもユニットとして曲を作っていくとは思うのですが、『ハナヤマタ』の曲としてデビューしたこと、スマイル(そして大文字と小文字のバランス)、屋号的に用いられるinc.(深読みすれば、Gorillaz「Feel Good Inc.」やNIN「Starfuckers Inc.」なんかを思わせる…)と.dk、昔の日本を思わせる和風な曲調など類似点を挙げるとかなりあり、これはもしかして、SMiLE.dkに対しての日本側のアンサーユニットである可能性があるのかも知れない…?などと邪推してしまう訳です。

まあ一番の間奏は、やっぱり音ゲーの中級者用曲でありそうな和風ロックって感じですが。笑

 

 

2.オーイシマサヨシ「君じゃなきゃダメみたい」(『月刊少女野崎くん』OP)

 

2位はSound Scheduleも再結成してまだまだ快進撃の途中にありながらも、名義をカタカナにしてリリースされたオーイシさんによる『月刊少女野崎くん』のOPを。

 

自分は解散する前からのSound Scheduleのファンで、特に大石さんがソロになられてからは音楽ライターとして記事を書かせていただいたこともあり、聴いていたのですが、『ダイヤのA』を観られていなかったため、この『野崎くん』のOPで初めてアニソンとして大石さんの曲を聴いた訳ですが、端的に言って、近年の大石さんソロの集大成的なパワーポップを感じさせる突き抜けてアッパーなビートの曲でありながら、作品の世界観にとても合っている!

思えば、Sound Schedule時代から、恥ずかしくなるようなカッコ良くて青臭い台詞の数々を歌詞にのせてきて、特に最近では『31マイスクリーム』で地元、愛媛は宇和島の感覚にも回帰しつつ『マジカルミュージックツアー』なんかで道化に徹しながらもニヒルでニクめない王子様感覚も増してきた大石さんが「君じゃなきゃダメみたい」で歌うのは、そういう青臭さ、決め台詞的な恥ずかしさも引き受けた上で、何か問題でも!?と微笑むような、こっ恥ずかしくもクールな恋心。

歌詞中でも、何度も自問自答的にツッコミを入れながらも、コーラスではブラックミュージックっぽく"君じゃなきゃダメみたい/意味がない"と繰り返されるやきもきした様、それを通り超えて、サビで一気に想いを開放するかのように怒濤の甘い台詞をかませまくる光景は、まさに『野崎くん』のおどけつつも、純粋すぎる恋心がゆえにこんがりまくってしまう千代ちゃん達の気持ちを表しているかのよう。

 

曲としては、3rdアルバム『31マイスクリーム』に収録された「ROCK'N ROLL STAR」の延長線上にあるような60'sの1stブリティッシュ・インベイジョン期のような、特にThe WhoThe Rolling Stonesみたいな、ルーツロックの匂いも感じさせるものの上に、サビの最後をはじめ全編を通してMr.Children「シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜」を思わせるクールにソウルフルなポップス寄りのロックンロール。

 

最近の大石さんの復活劇はすごいですね。サウスケのフロントマンとしてデビューした当初はGRAPEVINETRICERATOPSのようなアーティストと並んで、ルーツロックの匂いのする玄人好みのサウンドに加えて、そのどこまでも青臭い歌詞(もちろん褒め言葉)とニヒルな少年を地でいくスタイルに、「先輩に愛される後輩」のような…若々しくもオッサン的な趣味趣向をしているお兄ちゃんみたいな感じで愛されていましたが、それは同時に、いつか終わってしまう物語ではないかと思わせていたように思います。代表曲である「ピーターパン・シンドローム」なんて、モロにその一瞬の輝きをどうにか永らえようとしているようにも聴こえたし。やはりサウスケは解散して大石さんはソロの道へ進んだものの10'sに入ってサウスケは再結成。それと同時に大石さんソロも脂がのってきて、当時の直球世代はもちろん、自分みたいなどちらかというと解散の数年前くらいに聴き始めた後追い気味のリスナーも取り込んで快進撃を着実に進めている気がします。

そして再結成したサウスケも大石さんソロも、相変わらず恥ずかしくなるような甘く青臭い言葉が連なっていく、しかし、どこかで新しく変わっていってるところもある中、改めて、青臭い曲で一発ラブソングやるぜ!なスタンスに、『野崎くん』の原作者である椿いずみさんの来歴も重なって、幸福なタッグが組めているなぁと思ってしまいます。

 

そもそもサウスケデビューの頃からよく比較されたVINEやTRICERA(彼らも個人的にはめちゃくちゃ好きなのですが)に比べると大石さんの作詞・作曲センスは最もJ-POP寄りであったし、ドラマなんかのタイアップもどんどん狙えるタイプのアーティストだなぁと思っていたのですが、改めて、アニソンとして聴いたらやっぱりしっくり来て、良いですね。

 

 

1.People In The Box「聖者たち」(『東京喰種』ED)

聖者たち (期間生産限定アニメ盤)

聖者たち (期間生産限定アニメ盤)

 

まさか、PITBがアニソンになるとは思っていませんでした。

しかも、今までの彼らのどこかこんがらがってしまい過ぎたようにも見える一面を完全に払拭し、彼らのキャリアにおいて大きな躍進ともなる曲を美麗なEDムービーと共に届けられたら、これはやはり1位となります。

 

正直に言うと、自分はPITBが『Rabbit Hole』でデビューした当初(まだ今のようなピープルという略称さえ定まっていなかったように思える…)からアルバムがリリースされる度にほぼ毎回、ツアーを観に行っていました。まあいわゆる、鬱陶しい自称古参ファンの1人かと思えるのですが(苦笑)、5th『Family Records』がリリースされた頃あたりから少しずつ疎遠になってしまっていて、最近あまり追えていなかったのですが、『東京喰種』のEDになると知ってビックリしました。それと同時に、アニメファンの人たちから、果たしてPITBは受け入れられるのか…と要らぬ不安もどこかで抱いていました。

それは杞憂でした。PITBは『東京喰種』の行き場のない不安をさらに色濃くしながら、彼ら自身をも変わっていくのだと言うのを存分に見せつけてくれました。これは、『東京喰種』の原作者の石田スイさんがPITB(とOPを手がけたTK率いる凛として時雨)の熱心なファンであることもあるかと思いますが、それにしても、奈落のように落ち込む訳でもなく、ただ漠然とした不安を称えつつ、緊迫したグールたちのサバイバルが描かれる作風を過密な程に彩ったと思います。

 

端的に言うと、PITBが長らく抱え気味だったこんがらがったシニシズムアイロニーのバランスがかなり整ったように聴こえました。デビューした頃のPITB、波多野さんはいかにも哲学的に考えすぎて、抽象的な観念に怯えて引きこもりになってしまったような隠遁者の不気味さと中二病的ともとれる死生観(どちらも褒め言葉)が全開でした。

特に近畿のフリーペーパー、ジャングルライフ誌における『Rabbit Hole』期のインタビューにおいて「死について考えずにはいられない」「本当の死と生の狭間を見ていたいだけ」などという言葉が重なった頃は、奇しくもTHE NOVEMBERSとデビュー時期が重なっていたこともあり、例えばSyrup16gART-SCHOOLといったような邦楽ロックにおいてダウナーな世界をこれでもかと言うくらいに鳴らすアーティストの新世代が現れたのかという感じがしていました。

 

それから特に3rd『Bird Hotel』あたりからtacica、NOVEMBERSたちとツアーを回りながら9mm Parabellum Bulletに継ぐ残響レコーズの新たな顔のようになってから…徐々に楽曲、制作スタンス、対外スタイルなどの面からアイロニーをかなり通しているように映っていました。今ではシニシズムの方を引き受けている感じもしますが…

と言うのも一リスナーとして聴いていると、PITBは波多野さんの音楽嗜好やスタイルよりも少し捻ったファンたちがメインターゲットになっていったように思えていました。言葉を濁さずに言えば、メンヘルキッズ達(特にメンヘル少女)。

デビューの近いNOVEMBERSは、そちらに対してかなり自覚的で回り回り過ぎないように注意を払っていたように思うのですが、PITBは波多野さんが想定していただろう(もちろんこれは邪推100%ではありますが)プログレフュージョンなどを通過したポストロックファンよりも、メンヘル少女たちに大いに受け入れられたように思います。

もちろん、メンヘルキッズがファン層として問題ある訳ではありません。僕自身、広義のメンヘルキッズに範疇にいると思うし。ただ、見ている限り (余計なお世話でもありますが)、ARTやNOVEMBERSがかなり自覚的にそこを引き受けていたように思いますが、PITBは過剰に(有り体に言えば)「鬱ロック」的な文脈の上で物知り顔で捉えられすぎたのではないかと思っていました。そこに波多野さんが背を向ければ向けるほど、その齟齬がむしろ浮き彫りになっている気がして、どうにもやきもきしていました。

 

「聖者たち」は、その彼らのこんがらがっている側面があるようにも見えたキャリアの中で、一つ頭抜けていると言うか、波多野さんが今鳴らしたいことを直球で鳴らしているように思えたんですよね。サウンドは9mmなど彼らと近しい関係…いわゆる残響系っぽい感じですが、ギターよりもリズム隊のミックス、特にパンの振りなどはかなり攻めている感じがします。

 

歌詞は何と言っても、サビの"ああ今夜君が欲しいのさ 聖者たち"という一節が凄いな、と。個人的にはPITBにこそ、歌ってほしい感覚を直球で歌ってくれた感じがしてとても嬉しくなりました。

何と言うか、PITBのメランコリアを考えてみると、それは「今まで無批判に受け入れてきたものが一瞬にして意味のないものに変わり、その環境に適応できず頭が麻痺して混迷する感覚」のようなもので、そのシュルレアリスムじみた(あるいはサルトル『嘔吐』的な実存的な)状況を彩るために「こちらもシュルレアルで塗り固めるいびつさ」を感じていましたが、今までその自分を取り囲む無慈悲で不可思議な本性廃棄システム(と波多野さんが歌っているだろうもの)に抗うだけのようにも見えました。しかし"今夜君が欲しいのさ 聖者たち"という一節でそこから抜け出たように思います。猛烈な自己破壊欲求みたいな感覚が直球で出ていて、ファムファタル的情景を渇望している様が浮かびます。

 

最初、『東京喰種』のアニメ化、PITBの「聖者たち」というEDというアナウンスをきいた時は、恐らく「あっち」は(デビュー初期的な情景に則ってみれば)チェシャ猫に騙された純朴たる狂気たちよ、といった啓蒙的な曲になるのか?と邪推もしていましたが、むしろ聴いてみれば、チェシャ猫にすすんで騙されて催眠にかけられるのを楽しんでいるような感覚さえ覚えます。

実際に、波多野さんが諦観のように嘆く、世界あるいは社会(もっとベタに言えば人間本性?)を構成する要素に見えて、それが前提になっているからこそ、「僕が僕でいることが支配されている」ような違和感というのはあると思うのですが、そこにあまりにメタ的にも直接触れている…メタ的に見えた超ベタのような感じがあったのですが、この曲は、典型的なベタに見せたメタだなと思えます(アニソンとしてのタイアップがあったからとも思えますが)。「聖者たち」というタイトルから見ても、最早、戦意や敵愾心よりも、非人間的なシステム(=「聖者」)に溺れようとしている様をも思わせて痛快です。

 

さらに個人的には、この「聖者」は、あらゆる「ドグマ的なもの」のメタファーではないか?と思えます。サビにいく直前の"また空っぽな明日は限りなく黒に近いグレー"という言葉も以前ならば、「黒だ!」と糾弾していたところを諦めているように見えます。ドグマを突き崩すにはドグマに真っ向から勝負するよりもこちらの方が内部からの破壊が狙えそうとも思います。

例えば、1stシングル「天使の胃袋」なんかは近いスタンスではあれど、「ドグマを崩すために服従のフリをするよ?」という感じが露骨に出ていたように思います(例えば、"だけど空席の王座へ飛ぶシュプレヒコール/僕らの欲望が吹き飛ばすパレード"なんかは、最終目標のようなものが見えすぎているようにも思えます)。

「聖者たち」の場合、ドグマを突き崩すとしても、徹底的に従属して「聖者」を崇めているのが分かります。その崇め方が異様なのであって…「天使の胃袋」では「僕を壊す非人間的な去勢システム(のようなもの)」を王者と置いて、自分はその裸の王を非難するような分かりやすい立場が浮き彫りになっていたようにも思いますが、「聖者たち」ではそういうスタンスさえもパッと聴いた限りでは放棄しているように見えます。"この手のゲームには親の同伴が必要だ/勝算もなく賭けに出た"なんかも以前に比べると見違えるほど、「擬態」の色が出ているように思えるし、最早、これは擬態なのか本当に自己破壊欲求なのか判断し辛いですが、どちらであっても痛快です。

 

やはりPITBを考えると何か、ちょっと中二病的な感じになるのは、ある種、波多野さんの手の平の上なのかも知れないのですが、やはりそこも含め周到で良いバンドですね。

 

最後に、ここで歌われている「聖者」(人を強烈に引きつけた上であたかもそれを養分にして生きる非人間的な人格)は『東京喰種』の中で、明確に現れているようにも思います。