『一週間フレンズ。』第1・2話レビュー
2014年春アニメシーズンが始まったのに、なかなか時間が取れずマトモに観れてる作品が『ごちうさ』と『一週間フレンズ。』『僕らはみんな河合荘』だけなのですが(これから順次、短分アニメを除くと『ブラック・ブレット』『がをられ』『ブリュンヒルデ』『WIXOSS』『ピンポン』などを観る予定)、『一週間フレンズ。』を第2話まで観た中で自分もダビさん同様、感想書きたくなったので徒然なるままに書きます。
まず、この作品、なぜ(今期『ピンポン』の曲を手がけている)国内屈指の甘酸っぱくて、どこまでも切ない恋心とそれに揺れる感性を優しく描きながらも、しかしどこかで見えないところに噛み傷を確実に残していく歌詞と豊穣なメロディセンスを備えた清冽なギターロック/シンセポップの雄と言えるバンド、メレンゲが曲を手がけなかったんだ!!と思うまでに、めちゃくちゃなまでに(特にメジャーデビュー前後の)メレンゲの世界観に合っています。
まずオフィシャルからアナウンスされている作品設定を見たら、「一週間」で「記憶を失くす」という設定(あとは「屋上」というキーワード)から、ゲーム作品『CROSS CHANNEL』を思い出さずにはいられなかったんですが…漫画読了している方やダビさんなんかによると、むしろ『ef』を想起させるようです。
まぁ確かに、2話まで観た感じだと『CROSS CHANNEL』的なやや重苦しいテーマとおどけた主人公の介入という感じの半ば大それた世界観とは全く違いますね。むしろ青春の、過度に感傷的な作風で不均等な関係を匂わせるものになっています。ただ…控えめな表現で言いますが、なかなか『CROSS CHANNEL』が肌に合い辛かった自分としては、こちらの方が感情移入できるかな。。まぁそもそも比較すべき対象ではないともちろんわかっているのですが。
あいにく僕は『ef』を観たことがない(ダビさんと飲みながら大まかなエピソードを聞いたくらい)ので、それとの比較検討もできかねます。
しかし、現時点では今期のアニメではかなりツボな方です。それも認めたくないけれどツボという形でツボです。
2点。
1.藤宮さんと長谷くんの関係がそんな描写は全くないにも関わらず異様なまでにエロティックに映る、特に藤宮さんにいたっては異様にエロスがあるように思える
2.1にも通じる話だけど、冒頭に書いたようにこの作品は初期のメレンゲ的な甘酸っぱく切なすぎる恋心を描きながら、それが確実に互いの関係において傷を負わずにはいられない青い時を思わせ、それがゆえに"むしろ肉感的な描写が一切ないにも関わらずエロティシズムが後景的に浮き彫りになりそうでならないすごみがある"
まず、1。
長谷くんは好奇心と憧れの気持ちを持って、その性質がゆえに人間関係を断っている風の藤宮さんに意を決して接触する。藤宮さんも最初は拒否しながら、長谷くんに心を開いていく。しかし、かなり心を開いたところで月曜日になると記憶がリセットされる。
この性質がゆえに長谷くんと藤宮さんの関係は、どこか(少なくとも現時点では)密室的な関係を思わせる。もちろんカップルとまでは言わずとも、同じクラスにおいてお互いを特別な関係と思わせる地点まではいっている。
藤宮さんは世間知らずなところもありながら(もちろん、仲良くなれる"皆"と距離を置いてしまっていることに負い目?のようなものを感じながら)、その性質から長谷くんに一週間の半ばから献身的に振舞う。
これが普通ならば、例の(『中二病でも恋がしたい! 戀』レビューでも書いたような)「俺が守ってやる」節を増長させると思うけれど、長谷くんはそうはいかない。彼はあくまで純粋な心で常に藤宮さんと向き合おうと思っている。
そのことによってむしろ、藤宮さんの儚さが逆説的に前面に押し出される。
旧来、(国産オルタナ系ギターロック的な)サブカルチャーの閉塞的な関係においては、儚さや無垢さというのは、可塑性を増長させるもので卑俗なサディズム(あるいは屈折したマゾヒズム)に結びつきそうなもののように感じる(これはかなりの憶測と主観が混じったものと思いますが)。
そして、そのキャラデザの線の細さや淡さがそれに拍車をかけます。個人的にこのキャラデザはめちゃくちゃなまでにツボ。
やや自罰的に人と離れて儚く純粋で無垢な女の子という描写は、これは(ある種の、と留保は入れつつ)サブカル的造詣のある男性からすればエロティシズムを感じるところだと思うけれど、いくら密室的関係性に陥っても長谷くんはその卑俗なサディズムや変なマゾヒズムを一切出さない。
2について。
長谷くんもまた(今のところ)一貫して純粋に藤宮さんに向き合おうとしている。それが"痛い"(決して"痛々しい"ではない)。
毎週月曜になると記憶を失ってしまう藤宮さんに対して、自分との記憶を保持させようと日記を付けるように促す…が、藤宮さんが無理していることに気付き、それすら自分の傲慢さだと棄却する。
とすれば、彼に残るのは、どうしても藤宮さんの献身さや純真無垢な感情<痛みになってしまわざるを得ないのではないかとやはり思う訳です。
まして、長谷くんは思春期まっただ中の男子。藤宮さんのことを「運命の人」(スピッツ的な)と思っても、多くの他の女子がいる中で藤宮さんを選ぶというのを貫徹する以上、痛みはさらに出てきますよね。
でもしかし、長谷くんの思春期性はむしろ、その一途さに向かっているように見えます。それは思い込みの強さとも言えますし、逆に言えば思春期特有のその痛みを背負っても君と繋がりたいという願いにも見えます。
だからこそ、作品内でエロティシズムを喚起させるような描写は直接的には全く出てこないんですね(カメラの回し方というかメタ視点が長谷くんよりというか)。だからただただ淡々と淡い世界で痛みを持って見える。
それが非常に切ない恋心に向き合わされると同時にエロスを後景的に浮き彫りにさせるように思います。
とにかく彼らの関係は一見すると非常に密室的な関係性(クラス内では授業中とかの描写を見る限りお互いの仲はそれほど皆に知られてないようだし)を持っているように映ります。でも、その密室の中は、どこまで分かり合っても、あるいは傷を追っても繋がり切れないという根源的な切り裂かれるようなセンチメンタリズムで満たされています。
これがR-15的な作品であるならば、性的関係に昇華するようなものですが、性的接触も断念される。どこまでもお互いに想いを寄せながら、その実、根源的に繋がることはできない(それどころか長谷くんは自分の中の藤宮さんを支配的にしてしまおうという気持ちがほんの少しでもあったら、それを嫌悪し滅しようとしている)。
宇野常寛さん的な「レイプ・ファンタジー」とも決定的に違うように思います。
「レイプ・ファンタジー」と言えばトラウマを背負った(これはトラウマ以外にも色々バリエーションがあると思うけど、いわゆる"弱いもの"として女性を捉えるような視点)女の子が男性主人公と出会い、恋仲だったり(まあ別に恋仲じゃなくてもいいんだけど)になって、そのトラウマや弱さを癒して自己回復することによる男性性の「内省のパフォーマンス(安全に痛いパフォーマンス)」を糾弾したものだと思うのですが(まあ噛み砕いていくとこれでは説明不足ですが)、長谷くんは藤宮さんの弱さや無垢さを癒して自己回復を図ろうとしている自分に気付いた瞬間にそれを正直に藤宮さんに伝え自分を断罪するように務める。
こうなると、密室の中で愛も貪れず繋がり切ることもできず、お互いの中に耽溺することもできず、"痛い"だけで安全とさえ言えないのではないでしょうか。
これは僕の見解によるものだけれど、恐らく長谷くんには「女の子が辛いなら、女の子を助けるためなら『仕方なく』支配関係を結ぶ」ということが許せないんじゃないでしょうか。
そうなると、下手にエロスを纏った作品よりもむしろ、それが不可侵なものであるがゆえに、逆説的にエロティックに過ぎる。しかし、それには絶対に耽溺ない…
ただただ切ない青い時、となります。それってメレンゲの一解釈とも言えるような気がします。
うーむ、難しいですね。
何と言うか下世話な話で言うならば、この作品、「Anotherなら死んでた」みたいな定型句でいうと「スクイズなら寝てた」(というか誠くんなら、か。笑)とさえ思えるんですが、そうはいかない。ただただ胸に痛みの傷が重なる、純粋すぎるがゆえの思いという感じで…過度の感傷による感動強要的な作品とも何か違う気がします(どこが違うのかは今のところ言えない)。
まあ何にせよ、こっから彼女らの関係性がどう変わるのか、他のキャラクタの介入はあるのかで全く違う展開にもなるかと思いますが、今期では今のところかなり期待しています。
- アーティスト: メレンゲ,クボケンジ
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メレンゲで言うならば、『初恋サンセット』の情景だなぁ。それか『少女プラシーボ』の一部か『星の出来事』の一部か。