ワールズエンド・サテライト

アニメ・漫画の感想・考察,アニソンレヴューのページです。京都の院生2人で編集・更新しています。

『僕らはみんな河合荘』第1話・第2話レビュー


 OP見たり、今回のシャボン玉の場面でやっぱり実感するけど、麻弓さんってけっこう身長低めっぽいんですよね。あのスタイルで。すばらしいな。そんなこと思いながら書く感想です。

 

 

 
 私と青Pはけっこう宮原るりファンなのですが、そんなわけでこの『河合荘』、これは、私にとって数少ない、既に原作を読んでいる作品です。


 で、けどアニメ1話を見たときは、そこまでおもしろいとは思わなかった、というのが正直なところでした。放送前に話題になった(?)色遣いとかは、原作のきらきらしたカラー絵に近いし、わりにデフォルメの効いていた「恋愛ラボ」とは違った方向を狙っての原点回帰っぽかったりして、個人的には好きなのですが。美しい時間、須臾のきらめき、って感じがしたりもするし。ただ、「あんたちょっと黙っててくださいよ」とか、「健二に同情」とか、そういう台詞を宇佐くんが言ってたあたりで特に顕著だったけれど、文字を過剰なまでに派手派手しく前面に押し出した画面作り、しかもそれを台詞としても声に出していたりして、それゆえか(わりにさくさくネタを進めていく、或いは一コマに於ける情報量が多いとも言えよう原作との対比で、)アニメはかなりテンポが悪いように感ぜられたりして、私としてはいまいちそのノリに乗り切れない感じが強かった。
 しかしその点については、2話になって、ああまで過剰な文字演出はなくなったし、1話ではよくあったところの、原作に於けるフキダシ外の台詞まで(すべて)声に出す、という流れもあまりなくなったから、そのぶん原作のそれに近い、テンポよく繰り出されていく下ネタギャグを十分に楽しめたかな、と思いました。私としては、せっかくのアニメ化なのだから、原作で描かれてあるものにただただ動きと色をつける、再現だけする、というのではなくて、例えば、シャボン液が口に入って「苦……」と言ってる律ちゃん、それを見てムラッときた宇佐くん、そしてそののち挿入された、「こいのぼりが強い風をうけて、その身をまっすぐ(横向きにだけど)屹立させた」、みたいな、そういうアニメならではの、一瞬だけ見せて笑いをとれるようなカットをいれて貰えたら、見てて楽しいかも、と、思ったりもしました。ところで律ちゃん、シャボン液って舐め取ったらアブなくないですか。


 ところでここからは、OPの映像から読み取れるものに関しての話。よくよく見たら結構せつない感じの映像だったので、それについて。
 まず最初、河合荘に置いてあるらしい玩具や置物の映像を数カット見せるところから始まって、河合荘に住む各住人の紹介が行なわれる。導入ですね。そしてその次、「ベイリー伯爵の余罪」という本が風に靡き、ぱらぱらとページがめくれていく、という描写がはいるわけですが、ここから謂わば、律ちゃんと彼女をとりまくその世界、まわりの人、そういうのがえがかれ始める。続いて律ちゃんは、本を読みながら、橋、公園、和カフェ、と、そういったところを歩き巡ってゆくけれど、彼女は本に夢中でまわりを見ず、手を振ってくれている千夏ちゃん、或いは黒川(西園寺)、山本(北条)、田神、林(?)、そして駆け寄ろうとしていた前川、こういった人達の存在に気が付くこともなく、彼女はただ歩き去ってゆき、彼等の世界が決定的にすれちがってしまっている、と、そういった感覚を惹起もさせる。それは次のシーンがそうであるごとく、活字の雨に打たれ、自分のまわりをあまり顧みない気のある律ちゃんの、幾分内閉的な世界のあらわれであるけれども、そこではただひとり、宇佐くんが、傘をその手に彼女に近付き、寄り添うわけです。しかしせつないのは、続くシーンがまたそうであるけれど、律ちゃんはそんな宇佐くんに、特に一瞥もくれていない。活字中毒で制服フェチである律ちゃんが、書生、欧米の街娘ふうの(?)服、執事、ドレス姿、紳士服、メイド服、と、空に舞うたくさんの本を背景にしながらそうした服装を見せるのは、まさにめくるめく彼女の世界の奔流であって、宇佐くんはそれに圧倒される。一瞬画面からも消える。しかしまた次のシーンでは、律ちゃんと彼女に寄り添って歩く宇佐くんがえがかれます。そんな彼等の横には、河合荘の面々も寄り来たり、一緒に歩く。そして、歩きながら微笑を浮かべている律ちゃん、その笑みの理由は本を読んでいるからなのでしょうが、そんな彼女をただ静かに見つめる宇佐くん、と映像は流れていくけれど、やはり宇佐くんのそんな視線は一方通行のままであり、そして次には再びたくさんの本が映し出され(タイトルが判別できるのは「Han d'Islande」と「風の又三郎」)、やはり律ちゃんの世界に於ける「本」というものの重要性がえがかれるかのごとくです。そして今度は河合荘のなかへと舞台は移り、本を読む律ちゃんの後ろ姿を見つめるだけの宇佐くん、彼もその手に本を持ちつつも、やはり、その思いは届かないままになるのか、と、一瞬思わせられるも、しかしすぐ、彼等の服装が書生と女学生のそれに変わる。現代に於いては異質であろうそうした姿を許容してくれる河合荘という場所で、彼等が共なる世界を構築できるかもしれないという、そういう予感を、ここでは感じることができます、が、しかしそののち、河合荘の日常風景を数秒ほど描写してくれたあと、OPの最後は律ちゃんと宇佐くんのツーショット写真で〆られる。そこに写る彼等はかなりぎごちない。宇佐くんはそっぽを向き、律ちゃんは宇佐くん側の手に竹刀を握り、彼等のあいだに横たわる距離、というか境界とでもいうか、ともかく「まだ」そこまで仲良くなっていないという、彼等の関係性が如実に表されている――といった感じに、私としては、結果としてこのOPはその全編をとおして、律ちゃんと宇佐くん(達)のすれちがいをえがいている、と、そのように見たのでした(かなり自分好みに引っ張った解釈)。もちろん、ホントは律ちゃんだって、まわりになんの興味もないとか、自分の世界にだけ居れたらいいとか、そこまで内閉的な娘ではないですが。いろいろとめんどくさい人であることに変わりはないけど。

 あのOPの最後の写真、これから最終回に向けて、徐々にふたりの距離が近付いていくって感じに、絵がちょっとずつ変わっていったりしないかな……という願望を述べて、この話題については終わり。

 

ギリギリ魔法少女?法子 1 (ビッグコミックス)

ギリギリ魔法少女?法子 1 (ビッグコミックス)

 

 
 最後に。原作5巻の帯に「残念系ひとつ屋根の下ラブコメ♥」なんて書かれているけど、『僕は友達が少ない』やら、或いは最近私が買った漫画のなかに『ギリギリ魔法少女? 法子』って作品があって、それは「残念系魔法少女ギャグ♥」なんて銘打ってたりするんだけど、こんな感じに「残念であること」を売りにしている作品て増えたのかなぁ、という、そんな感じがある。まぁ「残念(系)」とはいったところで、それを打ち消すだけの魅力をキャラに賦与できなければ、その人はただただひたすら単純に「残念」であるだけの人物にしかならず、そうなったら読者側にも講読意欲が湧いてこないでしょうから、当然の前提として美男美女であるとか、なんだかんだでいいところがあるとか、そういった面が他方で強くあるのも否めないなぁ、と、そんなふうにも思ったりするのですが。美男美女であることが当然視される、或いは「萌えられる」ことがキャラ造形の基本となった(?)今現在、そんな時代に於いて特有なカテゴリというか、要素というか、そんな感じのものとして「残念(系)」というものを捉えられる気がします。

 

 
 ところで、なんでそんな「残念」的なものが最近はやっているのか。よく見る意見としては、「残念なおまえをわかってやれるのは俺だけ」的な感覚を抱かせてくれるから、ってのがあって、それの変則版としては、アニメ2期が決まったらしい『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』に於けるそれ、すなわち「残念な自分をわかってくれる、やはりどこか残念である彼女」、そして「そんなふたり(?)が構築する「ほんとう」の世界」、みたいな、どこか排他的な雰囲気を醸し出しつつもしかし嘘偽りのない、「ほんとう」を求めるふたり(?)の繫がり、的な感じの、そんな関係性を夢見させてくれるような設定が出てきたりするんだろうけど(けど、なんかこういうふうに評してしまうと、いっときはやったケータイ小説とか思い出します。恋空とか。しかし過去形と現在形しか知らないままに大学受験をしていた(小説内の)美嘉さんの姿に勇気づけられた高校生は、きっと私だけではない筈。そんなことない? というかそもそも読んだことない?)。

 ただ、普通に考えたら現実の人間にだって「残念(系)」のそれでえがかえれるような瑕疵の数々はきっとあるわけで、それをあらためて「残念」という範疇に於けるものだとして描き出すっていうのは、やはり人にかかわるなにか要素を、戯画化して、わかりやすく、そして魅力にも繫がりうるものとして呈示する「萌え」的な営みの、やはりその一端なのではないか、と、そんなことを思ったりもしたのでした。