ワールズエンド・サテライト

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『アニメミライ2014』レビュー ②

前回の感想の続きです。『パロルのみらい島』と『大きい1年生と小さな2年生』について。

 


アニメミライ2014 劇場予告(第2弾) - YouTube

 

『パロルのみらい島』
 物語概略。主人公は、或る島に住む3人の獣人、パロル、ズーズ、そして紅一点リコット。彼等は外の世界から漂流してきたオルゴールのなかに綺麗な物体(花火の写真)が入っているのを見付けるのだが、見知らぬそれを見に行ってみたいというリコットの提案にのるかたちで、島の掟を破って外に出る。ズーズの発明品である船に3人は乗り、外海に出、その途上で巨大な鷹(?)によって岩にくくりつけられてしまったオウムを拾ったりしつつ、そのオウムの案内によって、とうとう彼等は外の世界、すなわち人間の島(みらい島)に辿り着く。島はその日祭をしていた。3人とも仮装と思われ雑踏に溶け込むことができ、島の様子を楽しんでいたのだが、しかしそのオウムはサーカスからの回し者で、3人をサーカスへとつれていき、ズーズとリコットを捕えてしまう。もともと島の外へと出ることに消極的だったパロルは逃げ惑い、時計塔へと隠れ、ただただ泣き喚くばかりだったが、その時計塔の屋上で街の夜景を見、なにか決意するものがあったのか、ふたりのもとへと取って返す。揃った3人はできるかぎり協力しつつ、とうとうサーカスから逃げ出すことに成功するのだが、その流れのなか空へと放り出されることになってしまい――と、そこで、前に登場していた巨大な鷹によって助けられる。3人はその鷲の背に乗り、とうとう最初の目的であった花火を見ることもでき、最後、パロルとリコットの淡い恋の始まりを予感させて物語は終了――という流れの物語です。

 シンエイゆえなのか、(ここ数年来の)劇場版ドラえもんを髣髴とさせる色使い、そしてキャラの動作で、特にパロルなどはまさに「のび太くん」を思わせる表情の動き。話としては、より幼かった時分に於いてはガキ大将的な存在であったパロルが、年を経るにつれ、発明に情熱を燃やすようになったズーズ、そして、木の実取りが上手になるなどして徐々に女衆の一員へとなりつつあるリコット、彼等に対してどこか置いていかれているような感覚を抱き、そのうちに小心者で泣き虫な性格になっていってしまった、というのが背景にあるようです。そんな自分の身を振り返りつつ時計塔の階段を泣き喚きながら上ってゆき、しかし最後屋上に出たところで夜景を見ながら、それまでは言い訳を言うときのそれにしか使ってなかった「でも……」という言葉を以て「でも……助けに行かなきゃ」と決意する場面は、突如来たった「少年の成長」を雄弁にえがいているように思われます。きっと少年には(或いは、年齢問わず人間誰しも)、そういった奔流のごとく変化が生じる、ということがあるのかもしれません。サーカスから逃げ出した方法も、ズーズとサーカス団長の壊したパイプから吹き出る水流を利用して、というものだったし。
 ところで「みらい島」という題ですが、ぱっと見た感じこれは、人間達の島が獣人達の島に比べ、科学などが発達している様子をあらわしたものであるごとく思われますが、きっとここには、いつしか抱え込んでいた卑屈さのせいで前に進めなかったパロルが、この島へと来たことによって成長できた、未来を新たにえがきだせるようになった、という、そういう含意があるのではないか、と、そう思わされました。

 


『大きい1年生と小さな2年生』
 物語概略。まさやくんは体が大きい、しかしけっこう臆病な、新小学1年生。彼はいつも、1学年上のおねえさん、けれど背の小さいあきよちゃんにくっついてまわっていて、登校するときも、森の中の暗い道が怖いからと、彼女につれていって貰っている。まさやくんは或るとき、あきよちゃん、まりこちゃんと一緒に、4年生の女の子からホタルブクロという花をもらったのだけれど、その日の帰り道、自転車で爆走してきた上級生のせいでせっかくの花がだいなしになってしまい、あきよちゃんはそれで泣いてしまう。それを見たまさやくんは、以前ホタルブクロをたくさん見た遠くの一本杉のところまで歩いていき、ホタルブクロを持って帰ることを決意、次の日にそれを実行に移す。くじけそうになりながらも、新入生歓迎会であきよちゃんからもらったタコの首飾りを持ち、それから勇気をもらいながら、彼はとうとう一本杉までたどりつく。ホタルブクロも見つけるが、それのある場所には橋のない川を越えねばならず、まさやくんは岸にひっかかっている看板を橋にしようとそれをひっぱりあげようとするが、しかし足が滑って川に落ち――るところを、彼を心配して追い掛けてきてくれていたあきよちゃんに助けられる。ふたりはそうして川を渡り、ホタルブクロを手に入れ、わいわい話をし、そしてタコの首飾りが実はうさぎの首飾りだったことに気付くことになる。そしてふたりは、自分達を探しまわってくれていたまさやくんのお母さんとまりこちゃんと再会、まさやくんはお母さんに、「ぼく一本杉まで歩いていった。初めてだったからちょっと怖かったけど、もう怖くなくなった。一年生のじぶんには知らない道がたくさんあるんだってわかった」といったことを言い、そんなまさやくんをお母さんはやさしく抱きしめる。そして明くる日、まさやくんはひとりで登校するが、こんどはあきよちゃんがいなくとも、森の中へと続く道に赴いていった――というお話です。

 これも基本的には成長物語。うじうじしてばかり、一挙手一投足もどこかにぶい感じの――って、1年生だからかなりしょうがないと思うのですが、そんなまさやくんが、これは「成長しきらない」物語です。あきよちゃんが迎えに来たからといってご飯も食べずに黙って学校へ行き、それで授業中にお腹を減らせてツラくなって泣き言を言うなど、一年生であることを勘案してもだいぶこどもっぽい様子のまさやくんですから、いきなり彼が著しい成長を見せてしまっては、やはり違和感が拭えないでしょう。ツラそうだと先生に伝えてくれたのもとなりの子だし。ここで、彼が旅に出て以降の諸場面、畑仕事のおばあさんに励まされたり、アヤシいおじさん(実際には単なる農家の人?)に声をかけてもらったり、或いはあきよちゃんにすんでのところで助けてもらったり、といった描写からうかがえるのは、彼がやはりまだ小さく、庇護されるべき……とまでいかずとも、まわりの助けが必要な対象だということです。一本杉の森まで行くことはできたけれど、暗い森の入口を魔物のごとく見てしまうまさやくんはそこで眠り入り、もらった首飾りのタコさんが魔物をたおす……という夢を見、なんとか恐怖を乗り切ります。起きたら夕方になっており、怖かった森には夕日が射し込んでいる。怖くなくなっている。そうしてまさやくんは森に入っていくわけですが、正直に言って、彼が自身の力で以て恐怖を克服したというわけでは別にない。しかし、誰かの助け、誰かの励ましがあってこそとは言え、今まで面倒をみてもらってばかりだった彼が、あきよちゃんのため花を手に入れようとして、果敢に一人旅に挑んだその姿からは、まさに「成長」と言う以外にあらわしようのない過程を経ていること、それが窺えます。川に橋が架かってないからといってあきらめず、結局あきよちゃんの助けをもらったとはいえ、自力で看板を拾おうとしたことがその一端ですが、それは(うえのパロルで書いたようなそれとは異なって)、まさに遅々たる、しかし一歩々々しっかりと踏みしめ進んでいく、しかし他方でみずからの限界を知ることでもあるという、そうした成長。これが、この作品でえがかれていた「成長」であるといえるでしょう。
 ところで、まさやくんの成長に関して最後、彼を抱きしめたおかあさんの様子には心うたれるものがありました。駆け寄ってきた息子を抱きしめ、しかし彼女は、まさやくんがきっとそれで泣き出してしまうと考えていたのでしょう。しかしまさやくんは泣かず、「歩いていった」と堂々と言い、それを見たおかあさんは驚きの表情を見せます。「ぼくにはしらない道があるんだ」と言う息子は、通学路途中の暗い森にひたすら恐怖を覚えるのみの弱い息子ではもはやない。それは、「あきよちゃんのタコのおかげでがんばれた」という台詞から読み取れると思うのですが、彼はいまや、自分の弱さ、自分の小ささと向き合った息子に(たぶん)なっている。まさやくんの顔についた土ぼこりを拭いながら笑顔を見せ、「そうね」とだけ言って頭を撫でるおかあさんは、そうした息子の成長を読み取ったのでしょう。これは怒るべきかも……と、思わなくもないのが正直なところなのですが、しかし頭ごなしに叱ったりせず、息子が経たであろう成長をしっかりとうけとめたお母さんとまさやくんとのあの場面、これは、この作品における白眉といってもいいかもしれません。
 しかし個人的に非常にすばらしいと思ったのは、あきよちゃんのかわいらしさ、そしてその描写。2年生でおねえさんだから、というのもあるのでしょうが、まさやくんをきびきび学校へとつれていく、乱暴に自転車を乗り回す上級生にはしっかりと抗議をする、まさやくんがひとりで出掛けたと知っては心配し、川に落ちそうになった時には颯爽と駆けつけしっかりと助ける――こんな感じに、その堂々たるおねえさんっぷりを発揮するけれど、しかしホタルブクロがだいなしになってしまったときには失われたものへの寂寥から涙を流す。次の日けろりとそれを忘れているらしいのは、「今」に集中することのできる「こども」であるがゆえなのか、それとも帽子をかぶっておしゃれに気をつかってるらしい描写からとりうるように、2年生であっても「女性」らしさの目覚めがあるからなのか、いや、これは考え過ぎか。――それはともかく、また、まさやくんが貰ったあのタコの首飾り、実はうさぎなんじゃないかというのは見た当初からずっと思っていたのだけれど、本当にうさぎで、これもニクい、と、思いました。耳部分が下に来ていて、最初にそれを正面から見たゆえに、まさやくんはそれをタコだと思うことになったわけですが、きっとあきよちゃんは、それを自分の首にかけながら位置を調整したりして、そうして作ったのです。首にかけながら作ると、耳が下に来るようにしなければ、自分からはうさぎには見えません。まさやくんにあげたかった、と言っていましたが、そうやってあげる相手のことを考えながら大切に作ったという背景をうかがわせつつ、しかしこどもらしい、相手の視点ではなく自分の視点を基準にして考えてしまう、ここではうさぎの耳の位置をどうすればいいのか判断してしまった、という、そういった描写がされていて、こどもらしい可愛さがしっかり表現されていたように思いました。
 原作についてはなにも知りませんでしたが、自然に満ちた武蔵小金井周辺、添乗員のいる路線バス、団地大分譲中と書かれた看板など、時代は明らかに高度経済成長期の前後です。原作を調べたら、やはり1970年に発行のようでした。全体的に水彩調である画面作りは、デフォルメが効き、表情をころころと変える登場人物達のかわいらしさと相俟って、そうした時代へのノスタルジアをやさしく、淡い感じで、綺麗に伝えてくれていたと思います(まぁ本当は、ノスタルジアって「痛い」ものらしいですが)。

 
 簡単に、とか言ったわりに、けっこう長くなってしまいました。個人的な好みで言えば、アルモニ≧大きな1年生>>>パロル≧黒の栖、といった感じ。「アルモニ」は、その青春の始まりの一幕がなかなか気持ちよく心に痛くて、「大きな1年生」は、あきよちゃんが可愛かった。