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ワールズエンド・サテライト

アニメ・漫画の感想・考察,アニソンレヴューのページです。京都の院生2人で編集・更新しています。

『中二病でも恋がしたい! 戀』総話レビュー

地元企業、京都アニメーションの12年から続く、自社制作アニメシリーズの嚆矢となった『中二病でも恋がしたい!』の第二期作品。実はこの作品、当ブログを開設する直前に管理者2人が飲みながら、語り明かした作品の内の一つでもあります。

 

戯画化された中二病(いわゆる"邪気眼"系)と個人の成長物語(特に『Kanon』や『CLANNAD』といった作品を手がけてきた京アニお得意の「トラウマを持った少女」が男性主人公と出会い恋愛関係になることによって過去を清算していくというもの)を拮抗させながら描いた一期に対して、二期『戀』の全体を覆っていたテーマは「中二病と恋は対立せざるを得ないか?併存可能か?」というもの。

 

それは"自分の内閉的な世界(嗜好)を守るか、それともその一部を捨てて社会性を身につけるか"というテーゼと同一だと思います(恋=社会性と言えるのかは一考の余地がありますが、ここでは一旦おいておきましょう)。

 

 

これを基に各キャラクタのポジションを列挙してみましょう。

  • 勇太=過去に、社会性を身につけるため、自分の嗜好を捨ててきた。恋人である六花の非社会性について、やれやれと呆れつつも、その姿に「自分が成し得なかった姿」を仮託させている?
  • 六花=本作の主人公その1。最終話でも「あいつ、『闇〜』とか言ってたら喜ぶと思ってんだ!」と結社の仲間(と七宮)に対して勇太を糾弾しているように、一期よりも自分の嗜好に極めて自覚的な現役中二病患者。それがゆえに、その自分の嗜好と勇太との関係との板挟みに逡巡する。全体を通してアンニュイな表情を見せる存在。自分の恋心を守る"ために"、勇太との関係を断って、自己世界を守り通そうとしてきたと吐露する七宮に大きく動揺する。
  • くみん先輩=相変わらず、自分が中二病を通り越してこなかったと後悔(?)しつつ、自分自身の内閉世界を守らんと奮闘する六花や七宮の姿を「羨ましい」と思う。と、言いつつ、彼女自身も異常なまでの寝癖だとか、非社会性もそれなりにある。
  • 凸守=より中二病に自覚的になり、それと恋とを両存させられるか悩む六花を優しく見守るサーヴァント…でありながら、社会性と内閉世界の均衡が最もとれている存在?中二病であると自分に言い聞かせて、言動もあくまで、中二病全開で振舞うことによって周りを取り持とうとしている誰よりも大人っぽい存在(より言えば、子どもでいたい大人)とも思える。そういう意味で、モリサマーとは正反対の存在。
  • モリサマー=結社を支える肝っ玉母さんであると同時に自分の嗜好を捨てきれないという面で極めて純粋な女の子。学期が変わる度に、毎度、キャラ変えを図ろうとする描写に比べて、一期よりも圧倒的に、モリサマーとして現世に顕現せんとする態度から凸守と対照的な存在(大人でありたい子ども)。
  • 七宮=本作の主人公その2。自分の嗜好に作中、誰よりも自覚的でありながら、"あえて"中二病を選ぶ少女であり現役中二病患者。それは六花にとっては、アイデンティティを圧迫する存在であり、勇太やモリサマーが到達できない大人の在り方。作中、物凄い当て馬臭がしてしまうが、彼女の登場によって物語が素晴らしい形で掻き回されたのは言うまでもない。

 

さて、では、あなたの大人(あるいは子ども)としての在り方はどのキャラに近かったでしょうか?

どのキャラに近かったかによって、この作品の評価は大きく変わる気がします。

…と言うよりも、どのキャラにも近くなく、共感もせずだと、恐らくこの作品、遅々とした成長を微妙に描きつつ、ぐだぐだした話であって停滞すら感じるものになると思います(僕自身、共感しつつも俯瞰的に見ると、その代わり映えのなさにちょっと辟易しそうにもなりました。苦笑)。

 

まず言えることは、七宮の撹乱性。正直、放映前のPRの仕方から、何か六花の新たな超えるための明確な敵として登場するのかと邪推してたけど、むしろその一貫しようとする魔法魔王少女"ソフィア"としての姿に、精神攻撃的にストーリーにダメージを与えたと思います。自分自身の「想い」をどうにかするために、"あえて"自分自身の内閉世界を選んだ経験のある視聴者としては、メタ的にも効果絶大じゃないでしょうか。

 

内閉世界と言うと大層なもののように聴こえるけど、ここでは、言わば、「他人に理解されなくても良い、自分が自分であるために嗜好し続けたいもの」、例えば、特定の音楽・文学・映画・漫画・美術・アニメetc…(あえて再度、難しめな言葉に換言すれば、「主体的真理」)と捉えれば、良いのではないでしょうか。かなり、身にクるものがあります。苦笑

 

そんな七宮は、再び勇者=勇太と邂逅します。しかも自分が不可能であると思い、捨てた「中二病と恋」を併存させつつ、勇者の恋人である六花と同時に。

ほんの僅かな嫉妬心(と言うよりも自分で試していなかった想い)と共に七宮は勇太にアプローチをしかけます。これで否が応でも勇太と六花の関係は、中二病と恋の不均等な併存という板挟みの状態に対面しなければならなくなります。


TVアニメ『中二病でも恋がしたい!戀』PV - YouTube

 

ここからの勇太と六花の態度、特に最終話のそれは評価が別れるでしょう。

結局、ほっぺたにチューという(ダビさんも書いたように、まさに一方通行のメタファーかのような)接触に留まったとのは、七宮(および結社の仲間の応援)があまりに浮かばれないだろうと思わざるを得ないか、物語世界を調停しつつ勇太が守り、六花が守られ…という関係をほんの少しでも脱したとみるか。。

 

うーん、僕もダビさん同様に、この勇太と六花の関係は無理が生じていると感じてたのです。各キャラポジションでもちょっと書きましたけど、これ勇太が六花の成長を阻害しているようにも見えたんですね。行き過ぎた父性愛の象徴と言うか。

勇太にとって六花は前提条件として「俺が守らねば何をしでかすか分からない子ども」であって、庇護すべき対象。つまり、勇太は彼氏と言うよりも父親的な「次にすべきことはこれだよ、直さなければいけないとこはここですよ」と指示する、物事を主権的に操作するような存在に見えた訳です。

 

それに対して、六花は勇太が想像している以上に中二病と恋との狭間で葛藤にしているし、以前より格段に中二病を自覚し成長している。もう庇護すべき対象ではなく、主体的に物事を決めさせる対象として扱えるのではないかと思えるのです(七宮の存在がそれをより確固たるものにも変えますし)。大袈裟な言葉で言えば、六花は"少女から女性へ"というテーゼの一番最初である出発地点に立っている。それを父権的にあーだこーだ言うのは、不均等な関係に思えたのです。

 

これは勇太の無自覚性であると同時に、多くの彼氏がともすれば恋人に対してやってしまうような(?)、「俺が守ってやる」節の無理性(不可能性と言ったら言い過ぎかなぁ…)の表れである、と少なくとも僕には見えたんですね。まぁこれでも多少、言い過ぎかも知れませんが…

 

ともかく、ダビさんも指摘しているように2人は極めて共依存的な関係に近かった。個人的には、より悪く言えば、共犯関係かな。でも七宮の存在が大きくなるにつれ、その共犯性にも自覚的になり、ラストシーンで橋の下、と。

 

 

他のキャラはどうでしょう。

 

くみん先輩は、モリサマーとは違う形で、今回も結社を下支えしていました。ラスト一歩前で、「中二病である(あった過去がある)のは羨ましい…」とこぼすのですが、彼女自身もまた、明らかに人とズレている。中盤でインサートされる、くみん先輩回では昼寝(シエスタ)に関しては異様なまでに情熱的である顔を垣間みることができました。まあ今回でもえてして天然キャラに徹している訳ですが…個人的には、一色と結ばれ…はしなくても彼の登場回数がもっとあれば、興味を示しても良いのではと思ったり。

 

凸守は、今期において最もとらえどころの難しい存在でした。と言うのも、一期最終盤に見せた(一期においてはある意味、誰よりも中二病に自覚的な)姿とは相反するかのように、今期では、再びえらく中二病に埋没しています。僕としては、これフェイク…とは言わずとも、「中二病と恋は併存可能か」と悩む六花を補完するかのように、これまた"あえて"中二病を全面的に引き受けたのではないかなぁと邪推するのです。そして、それはやはり「子どもでありたい大人」を思わせます。さらに七宮とも違い、特定の異性とのフラグが立っていない分、より"あえて"中二病であろうという感覚が、逆説的に浮き彫りになっている(マスターが中二病と恋の併存可能性に悩むならば、自分は誰フラグもない分、全力で中二病で居続けるよと言ったような)。

凸守は凸守で、純粋で居続けたいんじゃないかなぁ、と。それもあって結社内において誰よりも中二病全開で、六花の葛藤にも献身的に見守ろうとしてるのでは。自分にはない恋の問題を抱えたマスターを理解しつつ、サポートする様は大人やなぁと思う訳です。

中盤で、本当の偽モリサマー少女に言い寄られた時は、その大人であらんと皆を取り持とうとして常に気配りするいつもの凸守にとってはガス抜きにとして期待してたんじゃないかな。残念ながら、偽サマーは百合の人で、恋愛に対しては潔癖な凸の期待は裏切られる訳ですが。

何はともあれ、やはり実は作中誰よりも大人なのでは、と思えてしまう存在でした。深読みしすぎかもですが。


モリサマーは大体、各キャラポジションで書いたことと同じです。

何だかんだいって結社にも顔を出して、修学旅行でも勇太×六花カップルを案じている、行き過ぎない母性的な存在でありながら、一期よりもどうしてもモリサマーとしての自分を(主に凸守に)見せちゃう感じ。大人になりたい子どもかな、と。

そういう点でまさに凸とは相変わらず鏡写しの関係で似た者同士の何ちゃって犬猿の仲。

また、勇太カップルを良い意味でお節介なまでに心配してるのに自分はなかなか恋に奥手なのも、凸と似てるかもですね。耳年増なところも。笑


番外編、一色。一期よりも登場回数が格段に減り、ほぼ完全にネタキャラとなってしまった…モテたいから軽音部に、と言うのは鼻につくけれど、彼なりにくみん先輩に近付こうと努力(??)してるのに、報われていなさ過ぎる。。彼とくみん先輩はまあ結ばれたら非難轟々であるかと思うのだけれど、あまりにネタになり過ぎて可哀想かな。。



と言うことで、全体的には遅々とした恋愛/成長模様を描きつつもどこか含みのあるストーリーだったと思います。個人的にはドロドロ痴情の縺れ展開や剥き出しの感情の衝突のようなものが好きなので、あまりにマイルド過ぎて、なかなか冗長にも思えたけど、振り返ってみれば、割に様々な観点から観れる作品だったかなぁ。


最後に。

中二病(内閉世界)と恋は併存可能かというこの根本のテーマ、本当に有効でしょうか。

現実的に有り体に言えば、これ、皆、折り合いをつけるってもんなんですよね。

ここで冒頭の恋=社会性なのか、という問題に戻ります。

恐らく恋は社会性とは現実的に言えないでしょう。一方的な恋心も恋と言えます(より生々しく言えばカップルであっても最初の1,2年間ってお互いトキメキがあるし、恋と言えます)。しかし愛となると違います。愛は社会性が必須でしょう(これは長くなりすぎるので割愛します)。

この作品のタイトルは『中二病でも恋がしたい!』。

総話レビューの締めとして。「恋」ならば中二病でもできる。


そういう点で、個人的には面白みはありつつ、惜しい作品でしたね。