ワールズエンド・サテライト

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『いなり、こんこん、恋いろは。』総話レビュー

 

あらすじはダビさんが既に書いた通りです

 

 まず僕のこの作品についての第一印象は、京都版『かみちゅ!』であるということでした。明確に国内のローカルな場所に根ざした作品であることの明示性、日本的な八百万のものとしての神の位置付け、その神性がありふれた日常を超えない範囲で用いられ中学生の主人公が恋心と向き合っていく物語構成(大袈裟な言葉を使えばビルドゥングスロマン)、主人公が”お決まりの3人”と一緒に行動する狭い人間関係、いわゆる萌えカルチャーから一歩引いたキャラクタ描写…主にこれらの点において『いなこん。』は『かみちゅ!』との類似性が指摘できる作品だったと思います。

かみちゅ!』よりも際立っているのは、そのローカリズムと言えるでしょう。『かみちゅ!』の場合、尾道というノスタルジックな風景が遠景化して描かれていましたが、『いなこん。』については、キャラクタの名字や主人公たちが通っている中学の名前に京都の地名が配されていたり、声優陣の見事な京言葉の再現によって、より鮮明に”地方色”を出していたと思います。このローカル感から、『四畳半神話体系』以降、強烈な京都らしいアニメ作品が久しぶりに出て来た!と喝采を送りたくなりました。ちなみに、主人公、伏見いなりの通う中学周辺の風景は明確に、JR藤森伏見稲荷間の風景で、昨年の同じく京都を舞台にした『たまこまーけっと』の主要キャラが通っている高校のモデルになった場所と同一です。個人的には、既に何年も毎日通っている景色であるので親近感があったり。笑

さて『いなこん。』において最も重要であるのは、主人公、いなりが、神である、うか様の力を”半分”分けてもらって、「変身」することができるという点です。『かみちゅ!』での主人公、ゆりえはタイトル通り、まんま自分自身が”神様”になるのですが、『いなこん。』では、半分は神様、半分は人間という奇妙なキャラクタ像を描いています。そして、その能力が「変身」であることは、大層な言葉を使えば、主体の実存に関わる問題と不可避に対面してしまうということです。
多くの中学生がそうであるように、思春期に苛まれたローティーンたちは、”なぜ自分は自分なのか?””もし自分があの人だったら?あるいは君だったら?”と思いを馳せます(これは一般的に中二病と呼ばれる思考の”恩恵”です)。いなりもその1人です。

全体を通して描かれるのはこの、いなりの実存問題です。いなりはその変身性ゆえに色々な人に化けて、人間関係を(基本的には絡まって悪い方向に)掻き回すのですが、終盤、同じく”なぜ自分はこんな自分でしかいられないのか?ただそれが悔しい。もし私が伏見さんだったら…”と嘆く、墨染さんに対して、「それではダメなんだ、自分のことは自分で受け止めないと」と悟ります。いなりにとって墨染さんは容姿端麗、スポーツ万能の完璧な少女であって、墨染さんにとっていなりはの人と人を繋ぎ合わせる優しさと社交性を持つ少女であって、お互い羨望の目で見つめています。これもまた、こじらせた中学生感覚と言えるでしょう。それらを乗り越えた上で、いなりは、無力な自分であることを引き受けていきます。
ラストシーンでは遂に、うか様に変身能力を返してしまいます。その意味で、ダビさんも書いたように、この作品は、いなりの成長物語であり、多くの中二病を患った人間の通過儀礼を戯画化したものであると言えるでしょう。

こう書くとビルドゥングスロマンとしての王道をいく作品なのですが、客観的に一歩引いてみれば、不思議な点もあります。いなりの持った変身能力は、本当に通過儀礼として乗り越えなければいけないものだったのでしょうか?
そもそも、人は常に変身(変態)し続けるものでもあります。もちろん作中に見られるような、他人に化ける能力は持てないけども、変化しない人はいないはずです。その変化性に対して、決着をつける(つけざるを得ない)物語も、これから必要であるはずです。
まあ無粋につっこんでみたけど、やっぱり、いなりはその”自分が自分であること”を引き受けて、成長した点で、やはり実存的な物語の好例と言える作品なのは間違いないでしょう。

 


「いなり、こんこん、恋いろは。」番宣PV - YouTube



ほか、冒頭でも書いたように作中の徹底された京都感、そして声優陣の―ネイティブの自分が聴いても一切違和感のない―自然な京言葉の再現はただただ息を飲むばかりでした。なかなか直球に京都が舞台であると明示される作品は少ないので、これは京都育ちの自分としては嬉しかった。あとダビさんも書いたように、驚異的な髪の毛の作画に見惚れました。と言うか、こいつら何のシャンプー使ってんだよってツッコミを禁じ得なかった。笑

最後に、個人的に最も好きなキャラは群を抜いて燈日くんでした。あの邪気眼ちっくな中二病は同期に放映された『中二病でも恋がしたい!戀』とも共振するものだったし、燈日くんもまた、うか様と対峙することによって成長しうる存在として描かれていたことは、かなり好印象。ただダビさんも書いてる通り、燈日くんを始めとする準主役キャラの恋心が放置されてしまって終焉を迎えたのは、なかなかどうなんだと思いましたが。苦笑