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ワールズエンド・サテライト

アニメ・漫画の感想・考察,アニソンレヴューのページです。京都の院生2人で編集・更新しています。

『風立ちぬ』レビュー

 備忘の意味を込めて、というより今そういうことを書く気分になっているから書いておこうと思って、以下、映画「風立ちぬ」の感想……とかいうほどではなく、単に思ったこと。或いはこれを見たことで自分に関して思ったこと。まぁ、だいぶ忘れてきてるけど、所詮は感覚的なそれを言うのでしかないから別にいい。案の定いつものごとくだらだらと書く。

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  で、あれは見ながら正直、主人公が気に入らなかった、そしてそれがなぜかとなると、奴はそのときそのときの気分に浸っていい気持ちになっているだけではないか、と、そのように感じられたから。いい気持ちといって別にそれは、こころよいとか満たされた感覚に奴が浸っていた、みたいなのではなくして、例えば、(戦争という背景とか自らの産み出すものの別側面とかはさておいて)自分は美しいものを作りたいから作るのだと言い、或いは(本当に単なる親切心みたいなのの発露として)ひもじい子供に(その子等のいまある背景を鑑みずに)菓子を呉れてやったり、また、(結核を患っているがゆえの配慮を様々に向けねばならぬ筈の)細君を(その裡に秘めているであろう種々の覚悟をなんら看取もしないまま)自らのとなりにおいて剰え煙草さえ吸い、そして戦争が終われば、(そのさなかには美しいものを作りたいだけなどとのたまっていたのにも拘らず)終わったというその空気のなか、それに浸って「(自分の作った飛行機に乗った人は)誰も帰ってきませんでした」などと言う。ありていに言えば、彼が在り、そのまわりの世界とそこでのすべてが、謂わば彼に夢を見せるためにあったがごとく感ぜられた、という感じ、或いは(私としては)こう言うのでもよい、この主人公には、自らとそのまわりに対して、その美しく感ぜられる側面ばかりしか見えていなかった、みたいな。うえで「いい気分」といって指したのは(主人公におそらくあるであろう)こういう心状(?)である。美しいとかいうことばがここでの事態すべてに相応しいのかとなると、それはまぁ考えなければならないかもだけど、なんにせよ私としては、この主人公にとって、あの世界というのが、彼の夢を叶えるべくそれの素材を提供する場であったごとく見え、ゆえになんか主人公偏重の感覚がせられて、その歪み(?)が気持ち悪く、見ていて気分が悪かった。
 けどしかし、主人公がずっといい気分で居たのかとなるとそれもまた微妙な感じで、(どれもこれもうろ憶えなんだけど)ドイツに留学したらそこでドイツ人将校(?)だかに「猿真似野郎」だかなんだか言われて、世界に於ける(当時の)日本の位置、或いは像(?)、そして(飛行機を産み出した)西洋世界(ドイツだけど)の実際というものを思い知らされているし、子供にシベリヤだかなんだか買ってやろうとしたけど受け取られなかったときには、そのあと……誰だったっけ、友人のなんとか君に偽善だって言われて諌められたり(?)もしてるし、奥さんがサナトリウムに帰ってしまった、つまりは死ぬために帰っていった時には、その場にさえ居なかった。のちにイタリア人設計者と邂逅していたその夢のなかで奥さんとは再び相見えるけど、「生きて……」だかなんだかだけ言って、結局奥さんはそこで風で消し飛んだがごとくいなくなる。こうしたところからおそらく謂えることとして、主人公の生きる世界とは、その半面が「失うこと」或いは「犠牲にすること」で構成されている世界だといえ、そしてそうしたところを構成与件として、男達の飛行機を作る世界、初々しい結婚生活、(或いは勝利を目指す戦争という状況、)こういったものがあったりするんであろう、と思う。

  まぁけどこれだけ言ったんでは別に、なんか感傷主義っぽいことを言って、失われるなにかというものの存在を称揚しているに過ぎないという感覚とてせられる、が、けれど感傷というもの、結局これを抱くことになるという場合が人間にはあるのだとしても、なにかを失った気になって最初から感傷しか抱いていないのと、なにかを成し、或いは成し遂げんとしたその最後に抱くことになるそれというのは、同じ感傷ということばで表すにしても、その内実には異なるなにかがあるような気がする……というよりきっと違うものだろう、それは。この作品に出てきた人達、彼等はみな、飛行機を作るなり、結婚生活というものを体験するなり、(或いは戦争に勝とうとするなり)なにかを成し、成し遂げようとした人々であった。なかでも主人公、彼は(まぁキャラ的には、帝大卒の秀才ではあれ、どっちかっていうと頭より先に体が動くたぐいの人なんだろうけど)飛行機に関しても、そしてその細君に関しても、貪欲にその両方をとろうとし、そしてそのそれぞれに、自らを没入させ夢中になっていたように私には見えた。それはきっとそうできることではなく、結局これらは破綻を来たすことになって、奥さんは(おそらく)死に、飛行機も(戦争というそれを作る土壌が消えてか或いは自らの旬を過ぎたからか)作れなく(作らなく?)なり、すべては夢の世界の話となる。しかし、かようにして(すべて)失ったとは言え、没我して取り組んだなにものか、それは消えるわけではなく……或いは、その「失った」もの、そしてその「失った」もののお陰であったもの、これらを(これ以上)失わないために、そこで為されることして「生きて……」という細君の願い、そして、「生きねば」という生きてあるものの覚悟、そういったものがあるのだろう。長くなってきて自分でもなにを書いているのか判らなくなってきた、なのでもうやめる。けど言いたかったのは、自らを「夢」に没入させるということ、それが失われた(失われる)ものとしての「夢」になること、そしてそれを忘れず「生きる」ということ、こうした営為に真摯に努めんとした記録として、この「風立ちぬ」という映画を考えれるかも、みたいな感じ。こういうこと言ってると、じゃあ自分はどうなのさってなって、まぁ私はまともになにもしたことないまま今迄きてしまって、何に由来したのかすらよく判らない感傷抱いてなにか失ったような気ばっかりはしているけど、果たしてなにを失ったというのか、なにもなにかを失うようなことをしてきたことなどないというのに、そうか、そういう劣等感? なんて言えばいいのかワカラナイけど、この自分の感じてる気分の悪さってのはそういうものか、所詮は些末な存在のつまらん怨嗟か。そういうなんにもならん心持ちをこうやってカッコつけた言葉で言い表してなんになんのかね。
 しかし見てる最中は正直あんま面白く感じなかったな、この映画、次見るときはどうかな、金曜ロードショーでも気長に待つ。