ワールズエンド・サテライト

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『魔法のプリンセス ミンキーモモ 夢を抱きしめて』総話レビュー

 「魔法のプリンセス ミンキーモモ 夢を抱きしめて」視了。

魔法のプリンセス ミンキーモモ DVD-BOX1

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 前作の空モモちゃんは、作中で事故にあって死んでしまい、人間に生まれ変わり、その夢のなかで悪夢と戦った。夢や希望だけでは生きていけない、しかたない、そうした思いを、言葉を、強いてくる現実というものが地球には厳としてあって、そうしたなかでは夢や希望を持っているほうが生きづらい、だからモモちゃんがしてきた、夢や希望を人に与えること、それは逆に人にとってはつらさを強いてきたのと変わらない……しかしそうしたなか、すなわち、夢が叶いがたく抱くのもつらいこの世界に於いて、いまや人間となり、魔法にも頼れず、容易に夢を叶えるなど到底できなくなった存在ではあるが、自分がいかに自分で自分の夢を持ち続けられるのか、それでも持とう、みたいな、そんなテーマがあったように思う。初代モモちゃんはだから、人間になることで、私達人間の側の「夢を抱く」という営為の意味、これを問うてきてくれていた。
 対して海モモでは、話はむしろ人間の側をえがくというよりは、夢側に位置する人々、存在、これらを強くえがいていた感覚がある。彼等は夢や希望を失うゆく人間、或いはもはやまったく持っていない人間というのに対して、謂わばまったき他者であるような存在であって、言ってしまえばそれはきっと、(夢のない)人間にとっては、切り捨てても痛くない存在であり、或いはまた、いまだ夢を抱けている人間にとっても、夢は人ひとりひとりが抱くものであるから、モモちゃんがそれに対して具体的になにかする、叶えてやる、ということは畢竟できない。だからそこには壁がある。そして、人間と夢とはもはや共にあることができない、という展開がなされることにもなってしまう。実際、夢のなくなった地球では夢の存在は生きていけない、マリンナーサも地球を去る、ということになる。けれど海モモちゃんは、そこで地球に残るという決意をする。それは初代モモちゃんと会って決意されることになる。彼女等はともにモモでありながら、現実と夢、まったく別個の世界の存在であるのだが、しかし初代モモちゃんは海モモちゃんに言う。みんなの夢を見るのが好きという海モモちゃんに対して、自分の夢を見るのでいっぱい、という初代モモちゃんの台詞がこれ。

「そんなあたしを見ていてくれるモモちゃんがいてほしいって」

 最後、マリンナーサも地球を去り、もはや魔法も失ったモモちゃんは、夢の存在でありながら人間に及ぼす(特殊の)力も持たないという意味で、謂わば無力な存在、人間の側になにを齎してくれるでもない存在であるのだが、しかし、それでも地球に残ってくれた存在である。人間はもはや彼女に何も期待することはできない、或いはそもそも、なにかを期待するための夢すら失ってしまっているのかもしれないけれど、それでもモモちゃんは地球に残り、人間を見ようとしてくれている。なにもできない、それどころか、夢の失われゆく地球に居て、いつ消えることになるかもわからない、そんなところで、それでも我々人間を見つめてくれているモモちゃんのまなざしに、人間は何を思うことができるのか。それをいかに受け止め、そして自分をどう振り返ることができるのか。
 まぁ長々と書いたけど、言いたかったのは、他者の形象「モモちゃん」という存在の、その切なさに、そのまなざしのあたたかさに、僕の涙が滂沱たるものだった、みたいな感じ。まぁ夢とか希望がどういうものなのか、ってのはまだよく判ってないけど、えーだばえーだば、なるよになるだば、ないだばさ。

(とか思える人間になりたい)